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.政治  投稿日:2022/9/30

結局「聞く力」も説得力もなかった 国葬の現在・過去・未来 最終回


林信吾(作家・ジャーナリスト)

林信吾の「西方見聞録

【まとめ】

・岸田総理、安倍元総理の国葬について、内閣府設置法の条文により、法的根拠はあると明言していた。

・内閣府設置法が規定しているのは「所掌事務」であり、これを根拠に閣議決定だけで国葬を決めるのは無理がある。

・岸田首相も閣議決定の前に党首会談を行い、7月中に国葬を実施していたら、国論を二分するほどの騒ぎにはならなかったのではないか。

 

この原稿を書き始めたのは、9月26日の昼過ぎ。安倍元首相の国葬まで、残すところ24時間を切った。依然として、追悼ムード一色とはほど遠い。

6000人の参列を見込んでいたものが4300人ほどで、元職を含めた国会議員は6割が欠席するという有様。

我ながら「今さら感」はあるのだが、岸田首相は一体なにを間違えたのか。

これまた「今さらなにを」と気色ばむ向きもありそうだが、世論調査で過半数が反対する国葬が執り行われて、国民にはなにか得るものがあったのか。首相の「聞く力」はどうなったのか。

まず、前回も少し触れたことだが、政府は正式には国葬でなく「国葬儀」としている。

岸田首相自身が国葬を決めた直後、7月14日の記者会見で述べた言葉を借りるなら、

「平成13年1月6日施行の内閣設置法において、内閣府の所掌事務として、国の儀式に関する事務に関すること、これが明記されています。よって、国の儀式として行う国葬儀については、閣議決定を根拠として、行政が国を代表して行い得るものでると考えます」

ということで、内閣法制局ともしっかり調整して判断した、とも付け加えている。

政治家特有の、いささか回りくどい言いまわしではあるが、内閣府設置法の条文により、法的根拠はちゃんとあるのですよ、と明言しているのだ。

たしかに、法理論上これを否定するのは簡単ではない。だからこそ私も、法的根拠がない、とは一度も書かなかった。法的根拠が曖昧なまま、国民ひとしく弔意を表せ、ということでよいのか、と述べてきた。

いずれにせよ煩雑を避けるため、本稿では従前通り国葬で統一させていただくが、国の儀式である以上、費用は全額国費(内閣予備費)でまかなわれる。

実はここに、賛否両論が巻き起こる最大の理由があったのだ。

そもそも内閣府とは、省庁改編以前の総理府を引き継いだ組織だが、この設置法によって、他の省庁よりも上位にあるものと位置づけられた。従前の行政組織は、各省庁が平等の立場で任務分担をする、といったものであるのに対し、当時の自民党がしきりに唱えていた「官邸主導」を具現化したものだと言ってよいだろう。ちなみにこの年(2001年)の4月26日に、森喜朗首相から小泉純一郎首相へと交代している。

ただ、前述のように内閣府設置法が規定しているのは「所掌事務」であり、これを根拠に閣議決定だけで誰かを国葬に付してもよいとするのは、いくらなんでも牽強付会であるとの声が、法曹界からも学会からもしきりに聞こえてくるということは、指摘しておきたい。

内閣予備費も同様で、これは本来、災害に際しての被災地支援が典型的な例だが、予定外の支出、それも予算措置が間に合わないような緊急事態に備えておくためのもので、首相のポケットマネーではない。支出が適正であったか否かは、後日国会で審議しなければならないとの規定もある(たとえ不適切だと認定されても、返せ戻せとは言われないらしいが)。

ここで思い出されるのは、戦後唯一、首相経験者を国葬に付した時のことである。言うまでもなく吉田茂元首相だが、時の首相・佐藤栄作は、訃報(1967年10月20日没。享年89)を外遊先のマニラで受け取った。

彼は世に言う「吉田学校」の人脈に連なり、吉田は「生涯の恩師」であると公言していた。

その場で国葬を決断したとも、前々からの腹案であったとも言われているが、ともあれ自民党の園田直・衆議院副議長(当時)に国際電話をかけ、国葬令が廃止されている以上、国葬には法的根拠がない、と前置きして、

「超法規的処置で実施せざるを得ないが、それには野党の了解が必要だ。社会党を説得しろ」

と指示したのである。そして、当時の野党第一党・社会党は割と簡単に了解したらしい。

色々なことが考え得るのだが、ひとつには戦後22年しか経過しておらず、1951年にサンフランシスコ講和条約を締結し、日本を独立国として再出発させた吉田を国葬で送ることに、さして違和感がなかったというのが、おそらく最大の理由だろう。1965年には英国のチャーチル元首相が国葬に付されているが、このことも関係していたと見る向きも少なくない。

そして10月31日、日本武道館で国葬が執り行われた。

前回も述べたように、これは「お葬式」ではない。吉田はクリスチャンだったので、近親者はミサを開いて彼を送っている。

あえて今さらながらの議論を繰り返すことになるが、岸田首相も閣議決定の前にせめて党首会談を行い、7月中に国葬を実施していたなら、国論を二分するほどの騒ぎにはならなかったのではあるまいか。

現実には、9月8日に国会の閉会中審査に異例の出席をしたが、ここでも「法的根拠はある」「国葬の判断は適切であった」と繰り返すのみで、国民に対して自身の信念を熱く語る、という姿とはほど遠かった。少なくとも、これで潮目が変わることはなく、多くの視聴者を落胆させ、反対論を勢いづかせたようだ。

ネット上でも、議論の迷走が見られた。

たとえば前にも紹介したことがある「ひろゆき」氏だが、当初、国葬の予算が2億円程度と発表されていたことを受けて、

「弔問外交の費用と考えれば、コスパ(コスト・パフォーマンス)がよいのでは」

などと発信していた。ところがその後、警備費用などを加えれば16億円以上、と発表されるや、急にコスパの話をやめて、国葬反対を唱える人たちを攻撃しはじめた。

9月初めにネット配信された番組で、反対デモの呼びかけ人になっている洞口朋子さん(杉並区議会議員)に対して、

「葬式で騒ぐって、人としてどうなの?」

などと迫った。彼女は革命的共産主義者同盟全国委員会(通称・中核派)のメンバーである。安倍首相の政治姿勢を美化することは許されない、という洞口さんに、

「あなたのご両親なり、お世話になった人が亡くなったとして、中核派ふざけんな、という人が葬式を妨害しに来るのはOKなんすか?」

と追い打ちをかけたが、

「まあ、私たち的には〈来るなら来いよ〉ですかね」

と軽くいなされてしまった。

「論破王」も顔色なしの図には少しだけ笑ったが、中核派というのは、立花隆氏の『中核vs革マル』(講談社)の記述を借りるなら「行動極左の典型」で、これを令和の読者にも伝わりやすいように言い換えるなら「命がけの騒ぎ屋」みたいな人たちだから、どちらに転んでもネット民の価値観を受け容れるはずがない。

そもそも「お葬式の時くらい静かにしていろ」という発想自体が胡乱であると私は考えるのだが、これについては前回きちんと述べたつもりなので、ここでは繰り返さない。

一方、笑うどころか呆れる他はなかった例もある。

事の発端は、作家の百田尚樹氏が、演出家・宮本亜門氏のツイートに噛みついたことで、

「もちろん私は行きませんが」

とつぶやいた宮本氏に対し、案内状をSNSにアップしたことを指して、

「社会人として恥ずかしい行為」「良識とマナーくらいは持とうよ」

などとツイートしたのだ。

また、ジャーナリストの有本香さんは、立憲民主党の蓮舫議員らが、欠席の意思を表明していることに対し、昔から「村八分」と言うが、それでも火事と葬式だけは例外なので「八分」としたのだと述べた上で、

「今『国葬欠席アピール』をしている人たちは、ムラ衆より低レベルなのか、否、アピールしないと自分が村八分にされるのか。哀れだね」

とまで書いた。

ところが12日、この両名にとっては業界の後ろ盾とも言える、幻冬舎の見城徹社長が、やはり欠席する旨の案内状画像をSNSにアップしていたことが明るみに出た。これに先立つ8日には、ツイッターとは別のSNSサイトで、

「岸田総理は国葬を一旦延期して、衆議院を解散し、国葬の是非を国民に問うべきだ。そして、選挙に勝って堂々と国葬をすればいい(以下略)」

などと発信していたことも。

『FLASH』誌が16日付で配信した記事によると、両名の元へは前述の事実を知らせるリプライが多数寄せられているが、この日までにはコメントはなかった。

問題は記事が出た後で、百田氏は、自分と見城社長は「親しい友人」で、自分の意見はちゃんと伝えたと述べつつ、

「しかしそれは、本人に直接言うことでSNSに書くべき事柄ではない」

などと述べた。それならば最初からSNSで偉そうなことを書き連ねるべきではなかっただろう。良識とマナーはどうした……この感想は、私一人のものにとどまるだろうか。

有本さんに至っては、やはり見城社長には自分の意見を伝えたとした上で、

「なにも知らずに記事を書くな」

などと逆ギレする始末。

もともとこの二人がSNSで発信してきたことなど「安倍さんは素晴らしい人だったアピール」と「自分は安倍さん(もしくは安倍家)と親しかったアピール」を除いたらなにも残らないと言えるもので、私など相手にする気もなかったが、多くのSNSユーザーはそうではあるまい。プロの物書きとしての矜持があるなら、たとえSNSで書いたことであろうとも、説明責任があるのではないか。

そんな私がとどめを刺されたのが『週刊文春』9月29日号のトップ記事で、その内容は、岸田首相に電話で「国葬を決断しないと保守(林注・安倍政権を支えてきた層のことらしい)が離れる」などと迫ったのは、文芸評論家の小川栄太郎氏で、当人も事実関係を認めているそうだ。

どこかで聞いた名前だが……と思いつつ読み進めたところ、ずっこけるどころか椅子から滑り落ちそうになった。

2018年に、自民党の杉田水脈(すぎた・みお)議員が、

「LGBTは(子供を作らないから)生産性がない」

などと雑誌に寄稿し、大炎上したことをご記憶だろうか。その際『新調45』誌上で、彼女を擁護するつもりだったのか、

「痴漢症候群の男の苦悩こそ極めて根深かろう。再犯を重ねるのはそれが制御不能な脳由来の症状だという事を意味する。彼らの触る権利を社会は保障すべきではないか」

などと書いたのがこの人物だ。雑誌は結局、休刊の沙汰となった。

よりにもよって痴漢と性的マイノリティを同列に扱うような頭脳の持ち主が首相のブレーンとは……

記事によれば、岸田首相が自民党政調会長だった時に、当時の安倍首相から紹介されたそうだが、いやしくも国政の長たる者、もう少し付き合う人をちゃんと選んでもらいたかった。

なにはともあれ27日18時、莫大な予算を投じて2万人もの警察官を動員した警備のおかげで、国葬は大きな混乱もなく終わった。

日本時間20時55分(ヨーロッパに遠征中)には、サッカー日本代表とエクアドル代表の試合がキックオフとなる。

今の私が、心から「がんばれニッポン」「咲き誇れ」と言いたくなるのは、サッカーを見る時だけだ。

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トップ写真:安倍晋三元総理の遺灰を運ぶ安倍昭恵さん(2022年9月27日東京・千代田区、武道館) 出典:Photo by Takashi Aoyama/Getty Images




この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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