「#本物の国葬」にも一理ある(上)国葬の現在・過去・未来 その5
林信吾(作家・ジャーナリスト)
林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・「#本物の国葬」という言葉がSNS上でトレンド入り。「法的根拠」の有無という問題がある。
・英国では「国王以外の者を国葬に付すためには、王室と議会の同意が必要」。「国葬」とは別に「国民葬」がある。
・英国でも、誰かを国葬もしくは国民葬に付すには、なかなか難しい判断を求められる。
9月9日、英国のエリザベス2世女王が逝去し、19日午前11時(現地時間)より国葬が営まれた。日本時間では夜の7時からのことで、NHKニュースでも中継されている。
日本では、安倍元総理の国葬を巡っての混乱が、未だ収束を見ていないという事情もあり、主として国葬に反対する立場の人たちが発信源と思われるが「#本物の国葬」という言葉がSNS上でトレンド入りした。
これについては本誌でも、立命館大学客員教授・外交政策研究所代表の宮家邦彦氏が、
「世界中が追悼するイギリスの本当の国葬と、多くの国民が反対しているにもかかわらず強行されようとしている日本の国葬形式の式典」を対置するような発想について「どうも違和感がある」
といった内容の記事を寄せている。
宮家氏が言われる「違和感」自体は、私にもよく分かる。もともと英国と日本とでは法体系が異なる上に、どちらの法に照らしても、王族・皇族と政治家とでは扱いが異なって当然なのであるから、本物か本物でないいかという比較など、はなから成立する余地がない。
そうではあるのだけれど、宮家氏がアジア・アフリカ諸国の一部で大英帝国による植民地支配をあらためて糾弾する声が上がっていることを例にとって、
「安倍晋三元首相が世界中から弔意を示されたのとは対照的に、エリザベス女王国葬の場合は、旧植民地を中心に、英国の過酷な植民地支配に対する批判が出ているらしいのだ」
とまで記したことには、それこそ「違和感」を禁じ得ない。
安倍首相がテロに斃れたとのニュースが広まった直後から、中韓の一部ネット民が「祝賀メッセージ」をさかんに投稿していたことは、本誌でも報じられた通りであるし、そもそも国葬に反対の意思表示をした過半数の日本人には、なにか「世界中」から除外されるべき理由があるのだろうか、という話である。
元外交官で内閣参与も務められた宮家氏には、それこそ釈迦に説法であろうが、権力の座にあったり、高貴な身分と称されるような人が、世を去ってもなお毀誉褒貶にさらされるのは(個人的にはお気の毒にも思えるのだが)宿命のようなものではないか。
念のため述べておくと、私はこうした一部ネット民の言動をよしとしているわけでもなんでもない。ただ、侵略戦争や植民地支配の歴史というものは、そう簡単に清算できるものでもないし、単に「お葬式の時くらい静かにしていろ」で済まされるものでもないと考えているだけだ。
後者については、項を改めてもう一度見るとして、本稿ではタイトルの通り、どうして私が「#本物の国葬」という表現を全否定しないのか、その理由について述べさせていただこう。
まず、英国は成文憲法さえ持たない国なので、この表現が適切かどうか迷うところだが、記事の趣旨に則してあえて言うなら「法的根拠」の有無という問題がある。
写真)エリザベス2世女王の国葬(2022年9月19日 英・ロンドン)
出典)Photo by Karwai Tang/WireImage
英国では、国王が逝去した場合は国葬となるが、他に「特別な功績のあった臣下」が国葬に付される場合もある。本シリーズですでに見た、わが国の「国葬令」はこれに倣ったものかとも思われるのだが、よく分からない。と言うのは、大日本帝国憲法も、女性天皇の即位を認めない皇室典範も、基本的にドイツ(=プロイセン)の法体系に倣ったものだからである。
ただ、昭和天皇も皇太子時代に訪英するなど、わが国の皇室と英国王室が昔から親密な関係であったこともまた事実であるし、そもそも19世紀から20世紀にかけては多くの国が王国あるいは帝国と呼ばれる体制にあったので、国葬に関わる法規が英国の専売特許であったとも考えにくい。いずれにせよ、まだまだ私の勉強が追いついていない点は、読者にお詫び申し上げるしかない。
戦争で敵味方になった話はどうなのか、と言われるかも知れないが、こちらは自信を持って答えられる。昭和天皇が崩御された日、私はロンドンで働いており、現地での報道によって、終戦の際に英国、オランダ、ノルウェーの王家が、連合軍最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥に対して、昭和天皇の助命嘆願を行ったことを知ったからだ。敗者や弱者には寛大であれ、というのは騎士道の一環である。
もちろん昭和天皇が戦犯として訴追されることを免れたのは、占領軍=戦勝国側の高度な政治的判断のたまものだが、日本の皇室が英国王室に恩義を感じるべき理由はある。
写真)エリザベス2世女王の国葬に参列するにあたり、記帳される天皇皇后両陛下(2022年9月19日 英・ロンドン)
出典)Photo by WPA Pool/Getty Images
そうしたわけで、今次エリザベス2世女王の国葬に、今上天皇夫妻が参列したことにはなんの不思議もない。岸田首相が、英国からの招待状が「国家元首を含め2名まで」とあったのを知ってか知らずしてか「参加の意思」を表明し、大スベリしたのには笑ったが。
まさかとは思うが、今後3年間は解散総選挙をしなくても済むという「黄金の3年」のせいで、今や自分こそ元首だと思いこんだ、などという話ではあるまいな笑。
ならば林は天皇を元首だと考えるのか、という疑問もあり得ようが、国際関係の中で見る限りにおいては、なにしろ天皇を英語で言えばエンペラー(皇帝)なのだから、私の答えは「然り」である。ただし、日本国民が天皇をエンペラーとして戴くべきなのか否かは、まったく別の議論になる。このあたりの論考は『超・日本国憲法』(講談社)という対談本で開陳させていただいた。
岸田内閣に話を戻すと、これはあながち笑い事ではなく、閣議決定だけで国葬(厳密には「国葬儀」なのだが、煩雑を避けるため、本稿では「国葬」で統一させていただく。なお、この問題も後でもう一度見る)を決めたことに対しては、今や政府自民党の内部からさえ批判的な声が聞かれるようになった。
たとえば石破茂・元幹事長などは、9月13日に開かれた自民党総務会の席上、
「(英国の国葬は)女王様でも議会の議決をとっている。(わが国でも国葬を実施するなら)主権者・納税者の了解が必要だ」
と発言した旨、記者団に語った。
おいおいおい、と思ったが、案の定16日にはブログを更新し
「私の事実誤認でした。お詫びして訂正させて頂きます」
と述べた。おそらく、
「国葬の費用は全額国費でまかなわれるので、形式的ながら首相の承認を得る必要がある」
もしくは、
「国王以外の者を国葬に付すためには、王室と議会の同意が必要である」
という情報を、読み誤ったのだろう。ただ、石破氏の発言の趣旨自体は間違ったものではなかったと思う。
またしても「ちなみに」だが、英国において国王以外の人物が逝去した場合について。
まず国葬は英語でそのままステート・フューネラルstate funeralだが、国葬ではない場合はセレモニアル・フューネラルceremonial funeralと呼ばれる。字義通りには「儀礼葬」とでも訳すべきなのだろうが、これでは意味が通りにくいので、わが国では「国民葬」もしくは「準国葬」などと訳されることが多い。
写真)ダイアナ元妃(1981年11月1日 英・ロンドン)
出典)Photo by Anwar Hussein/WireImage
最近の例では、女王の夫君(王配と言う)であったエジンバラ公、さらにはダイアナ元妃などがこの形式の葬儀に付されている。
ダイアナ元妃については、生前すでに離婚していたことから、女王夫妻は当初、
「王室とは無関係の私人である」
という態度であった。これに対して英国民は一斉に非難の声を上げ、ついには時の首相トニー・ブレアが直接女王を説得し、セレモニアル・フューネラルの運びとなったという。この経緯は『クィーン』(2006年)という映画によく描かれている。
お分かりだろうか。英国においても、誰かを国葬もしくは国民葬に付すに際しては、なかなか難しい判断を求められるのである。
さらに言えば、戦後の首相経験者で、サー・ウィンストン・チャーチルは国葬に付されているが、マーガレット・サッチャー女男爵(男爵夫人ではなく、爵位を与えられた女性のこと)は、生前に自ら国葬を辞退すると申し出ている。
そのあたりの話は、次回。
トップ写真:安倍元首相の「国葬」反対デモ(2022年9月25日 東京・新宿区)
出典:Photo by Takashi Aoyama/Getty Images
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。