「#本物の国葬」にも一理ある(下)国葬の現在・過去・未来 その6
林信吾(作家・ジャーナリスト)
林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・高齢で準備が整っていたエリザベス2世女王国葬と「不測の事態」の安倍元首相国葬のコストは単純比較できない。
・国王以外が国葬に付されるには、王室と議会の同意が必要。サッチャー元首相は「社会の分断」避けるためか、国葬を辞退。
・実弟・岸防衛相の指示で安倍元首相の「家族葬」に陸自儀仗隊がルール逸脱し参列。
エリザベス2世女王の国葬と、英国において元首相などが国葬に付される場合についての話を続ける。
その前にひとつ予備知識を持っていただきたいのだが、日本のマスメディアでは「イギリスのエリザベス女王」と呼ばれているが、これには同意しかねる。
まず、私は必ず「エリザベス2世女王」と表記するが、これは言うまでもなく先代=エリザベス1世がいたからである。
16世紀にイングランドとアイルランドを統治し(スコットランドとの〈合邦〉は18世紀初頭)、政治の主導権をカトリック勢力から取り戻した他、そのカトリックの失地回復を狙って、スペインが派遣した無敵艦隊を撃破し、大英帝国の礎を築いたと称される女王だ。
ただし、2世と呼ばれるのは、たまたま同名だからであって、1世の直系の子孫ではない。この点は新国王チャールズ3世も全く同じで、英国王室は日本の皇室のように「万世一系」を称していない。さらに言えば「イギリス王室」という表記は、イングランドにおいてさえ違和感をもたれるだろう。
現在のウィンザー家はドイツ系で、さかのぼればフランス系、スコットランド系などが王朝交代を繰り返してきた。国号からして日本語の正訳は
「グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国」
で、イギリスというのはイングランドのポルトガル語訛りからさらに派生した、日本でしか通じない呼び方である。英国という呼称にせよイギリスに「英吉利」と漢字を当てたことから来ているではないか、と言われるかも知れないが、連合王国の略称として定着していると判断されるので、私はほとんどの場合こう表記する。朝鮮民主主義人民共和国では煩雑に過ぎるので北朝鮮と書くようなものだ。一緒にしては怒られるかも知れないが笑。
この話をはじめると、それこそ単行本1冊くらいの紙数が必要になってしまうので、英国王室の歴史について大づかみにでも知りたいとお考えの向きは、拙著『女王とプリンセスの英国王室史』(ベスト新書・電子版アドレナライズ)をご参照いただきたい。
今次のエリザベス2世女王国葬に際しては、世界中から国家元首や王族の弔問・参列があったことから、安倍元首相の国葬をめぐる騒ぎをあてこすって「#本物の国葬」がSNSでトレンド入りしたが、もうひとつ、この葬儀に費やされた費用が日本円にして14億円弱(推計800万ポンド)であったと報じられるや、安倍元首相の国葬に投じられる16億円以上と比較して「泣けてくる」などという声も聞かれた。
前にも述べたが、安倍元首相の国葬をめぐる議論の本質はコストの問題ではないが、あえてこの議論に付き合うとしても、やはり単純な比較はできない、としか答えられない。
▲写真 安倍元首相国葬に反対する人たち(2022年9月25日 東京・新宿区) 出典:Photo by Takashi Aoyama/Getty Images
もともと女王が高齢だという事情もあり、英国王室と政府は事前の準備に怠りがなかった。「ロンドン橋作戦」として日本でも報じられたが、逝去と同時に女王の秘書官から首相官邸に電話が入り、
「ロンドン橋が落ちた」
という暗号メッセージが伝えられた。これで作戦が発動されたわけだが、英国メディアによると、詳細までは(なにしろ国家機密であるから)不明ながら、内務省、外務省、軍と警察からロンドン・トランスポート(交通局)までも関与する「壮大かつ密な作戦」であったことは間違いないようだ。
なおかつ非公開のそれも含めて10回ほどもリハーサルが行われ、たとえばウェストミンスター寺院では、近衛兵が棺を担ぐ際の歩速まで計測して、分単位のスケジュールが組み上げられていた。
どのようなプロジェクトであれ、ここまで事前の準備が整っている場合と「不測の事態」に対応する場合とでは、コストに差がつくのは当然ではないか。もちろん、英国では業者の関与などまったくない、という要素は見逃すべきでないだろう、と思うが。
どうして暗号が使われたのか、という疑問を抱かれた向きもあろうが、正直なところ私にも分からない。おそらくそうした伝統があるのだろうと考える他はない。
女王の父で、今や先々代の国王となったジョージ6世の場合も、逝去の際、若き日のエリザベス王女は南アフリカに外遊中であった。この時も、国王の身に異変が生じた場合は(もともとヘビースモーカーで健康問題を抱えていた)、
「ハイドパークコーナー」
という暗号電報で急を知らせることになっていた。
ところが、随行員に情報がきちんと伝わっていなかったらしく、ホテルに届いた電報に目を通した担当者は、ロンドン市内の実在の地名であったことから、
(発信者の住所かなにかだろう)
などと考え、間違い電報だと判断してしまった。結局、王女は半日後に新聞記者から事態を知らされることとなる。今次の国葬の準備に際しては、この時の経験も生かされたに違いない。
ここで前回の最後に少し触れた話題に戻るが、英国において国王以外の人が国葬に付されるには、王室と議会の同意が必要となる。
最も分かりやすい例が、サー・ウィンストン・チャーチルで、1965年1月24日に死去(享年90)した翌日、英国下院は女王からの提案を受けて、国葬の実施を可決した。なんと全会一致であったという。
そして国葬は30日に実施されている。読者諸賢はすでにお気づきであろうが、議会において満場一致で可決したなど、はじめから予定調和のセレモニーで、あらかじめ準備が進められていたからこその手際だ。
なんでも「ホープ・ノット作戦」と呼ばれたそうで、Hope not(そうならなければよいのだが)とは、なんとも皮肉だと言うべきか、いかにもチャーチルらしいと言うべきか。
政治家以外に、日本でもよく知られる名前を挙げると、万有引力の法則で知られるサー・アイザック・ニュートン、看護教育の先駆者と称される「白衣の天使」フローレンス・ナイチンゲールだろうか。ただし後者は、遺族が国葬を辞退している。
マーガレット・サッチャー元首相の場合も、生前に国葬を辞退する旨の意思表示をしており、女王も参列しての「ほとんど国葬と言える国民葬」が挙行された。2013年4月17日のことである(4月8日没。享年87)。
▲写真 サッチャー元首相は国葬を固辞(1984年) 出典:Getty Images
ここで読者諸賢に知っていただきたいのは、サッチャー元首相が国葬を辞退した理由である。
彼女が正確になんと言って辞退したのか、詳細までは報じられていないのだが、自身が首相として推し進めた一連の改革政策=世に言うサッチャリズムには賛否両論があったことから、自身が国葬に付されたならば再び「社会の分断」が起きかねず、それを避けたかったのであろうと衆目が一致している。
目下わが国において、安倍元首相の国葬を巡って起きているのは、まさにこの「社会の分断」であり、前回私が「お葬式の時くらい静かにしていろ」で済まされるほど話は単純でない、と述べたのも、話がここにつながってくるのだ。
そもそも国葬は「お葬式」ではない。
故・安倍晋三氏の葬儀は7月12日、東京の増上寺においてすでに執り行われている。近親者のみの「家族葬」の形式であったが、霊柩車が品川区の桐ヶ谷斎場に向かう沿道では、多くの市民が別れを惜しんだ。
故人の遺徳を偲んで見送る「お葬式」は、つつがなく……と言いたいところだが、安倍氏の実弟である岸信夫・防衛大臣がとんでもないことをやってくれた。
陸上自衛隊の儀仗隊が「家族葬」に参列したのだ。
▲写真 安倍元首相「家族葬」に陸自儀仗隊が参列(2022年7月12日 東京・増上寺) 出典:Photo by Yuichi Yamazaki/Getty Images
これが大臣からの指示であったことは、陸自のトップである幕僚長が記者会見で明言している。これは軍事常識に照らすならば、クーデターに準ずるほどの統制の逸脱、控えめに言っても儀仗隊の私物化であろう。
「安倍一族」は、長州閥が陸軍を私物化し、最終的には国を滅ぼした歴史について、全く反省していないようだ。それこそ「お葬式」くらい静かに済ませればよいものを、どうしてこういうことをするのだろうか。
次回、国葬をめぐる議論の混乱ぶりについて、僭越ながら私なりに整理させていただこう。
トップ写真:エリザベス2世女王の国葬(2022年9月19日 英・ロンドン) 出典:Photo by Samir Hussein/WireImage
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。