無料会員募集中
.国際  投稿日:2023/3/13

ニューヨークの人々はいいかげん、空気を読まないのか


柏原雅弘(ニューヨーク在住フリービデオグラファー)

【まとめ】

・NYは自己中心的な人が多いが「見た目ではわからない」親切に遭遇することも。

・「空気を読まない」で、即行動するのがNY流。

・日本人は空気を読んだ結果、人と違った行動への抵抗感がより強くなってしまうのではないか

 

先日、日本のニュースをネットでチェックしていたら、こんな記事が目を引いた。

足に障がいがある、車椅子のインフルエンサーの女性の話である。

女性は、街でエレベーターに乗るためにいつも列に並ぶが、今日と言わず、いつも、あとから来た人にどんどん抜かされてしまいなかなか乗れない。エレベーターを何台も見送るのが日常で「もう疲れた」という。

投稿を動画付きでツイートしたのだが、その動画が気に障ったのかネット民から「同情集め必死すぎ」「障がい者が図々しく権利主張するから車椅子利用者の印象が悪くなる」などの批判コメントが来ている、という記事であった。

私自身が、昔、NYに移り住んですぐの頃の出来事を思い出した。

その日私は、仕事のため、地下鉄でブロンクス区のヤンキースタジアムに向かっていた。

撮影の機材などをたくさん持って、地下鉄に乗った私は、混み合うスタジアムの駅に到着後、エレベーターに向かってボタンを押し、来たエレベーターに、一番乗り、とばかりに乗り込もうとした。

すると後ろから「おい、兄弟。それはないんじゃないか? (Yo Bro, that’s not okay, man?) 」と、言う声が聞こえた。

振り向くと、声の主は巨漢の中年黒人男性であった。

実は、私はエレベーターを待っている間に、車椅子を含めた何人もの人が、私の後ろに並び始めていたのを承知していた。男性は、車椅子の人もいるのに、エレベーターに真っ先に乗り込もうとした私に「ダメだろ、それは」と注意したのである。

車椅子の人は最優先でエレベーターに乗せられ、私は憮然たる面持ちで場をやり過ごしたのであった。

NYではこういう場面で遠慮なく注意されることもある(「声を上げてまで」注意する人は黒人男性に多い、という印象がある)。注意する人がいなくとも、エレベーターであれば、車椅子は先に乗れるのが日常であり、普通だと思う

その後、考えもしなかったことだったが、今度は私が「優先的に乗せてもらう」立場になってしまった。人生のシナリオにはなかったが、我が家に子供が生まれたのだった

日常は一変し、カメラ機材を、赤ちゃん用品の入った巨大バッグに持ち替え、ベビーカーを押して駅へ向かう日々となった。

しかし、通勤で慣れていたはずの地下鉄は勝手が違っていた。

いつも使っている駅にはエレベーターがなかったのである。

今まではさほど気にしたこともなかったし、不便も感じていなかった。だが今は、ベビーカーとともに階段の下に立ち尽くしていた。

「手伝おうか?」

呆然としていると、さっそうとした紳士、ではなく「普通の感じのおっさん」が現れ、声をかけてきた。

だが「あ、大丈夫です」と脊髄反射的に断わってしまう。

断ってしまってから、なぜ断ってしまったのだろう、と思った。

それは「人に迷惑をかけてはいけない」という考えが頭に浮かんだからであった。

▲写真 ラッシュ時の地下鉄ホームのエレベーター。係員が、ベビーカー、車椅子の人を前に誘導して混乱を避ける。エレベーターから下りてくる人のために向かって右側が開けられているが、係員によってこのように誘導、整理が行われている場所はかなりまれ。(筆者提供)

その後も、ベビーカーを押して駅の階段下に行くと、毎回のように誰かに声をかけられた。それこそ、下は中学高校生から始まって老若男女誰でも、あらゆる層の人から声をかけられた気がする。

こう書くと、優しさあふれる人々がいるのがNYの地下鉄、と思うかも知れないが、実情は異なる

日本人から見ると、ニューヨークの地下鉄での人々のマナーは大変宜しくない。というより、ひどい。

車内が混雑していても、自分の隣の空席に荷物を置く人がわりと普通にいる。「そこに座りたい」と目の前に立ってアピールしても空気を読まない。「察しろよ!」と思っても無理な注文だ。大音量で音楽をかける人もいる。駅では日本のように整列して電車を待つ習慣はないし、電車がホームに到着しても、ドアの前をあけたりはせず、真正面から我先にと乗り込む。

ところがである。

子供を抱っこしていたり、子供の手を引いて電車に乗り込んで行くと、その我先に、と乗り込んだ人が席を譲ってくれたりするのである。空席に荷物を置いていた人すら、荷物をどけて、子供を座らせてくれたりするのである。意外とも思える展開に、恐懼感激となる。

子供と一緒に電車に乗ると、私は、人々に親切にされっぱなしなのであった

NYは殺伐とした日常風景も多く、日本では考えられないくらい、日々、自己中心的な振る舞いをする人が幅を利かせているような場面がある反面「人は見た目ではわからない」親切に遭遇することも多い。これは、人々の気質なのだろうか。

その後、長く観察した結果、ニューヨークの人々は日本人が迷惑だと思うようなことを「当たり前のこと」として考えているのではないかと思えるようになってきた。

誰でも困ることがあるだろう。

そうした時、かけられた「迷惑」に、ニューヨーカー特有の「過剰なおせっかいな心」に火がつく。

それはもう、そういう対応をする人がいるので、遠慮なく他人に頼んでよいという「文化」になっているのだと思う。

迷惑はかけて良い。迷惑はかけられて良い

先に述べたように、まわりに人がたくさんいる状況であからさまに人に意見を言える人は、日本では少数だろうが、こちらでは、ごくごく、普通だ。

良い意味で空気を読まない。

ニューヨークの人は、自分で思ったことは後先考えず、すぐ口をついて出てしまう「特性」もあるのかもしれない。

街なかですれ違いざまに突然「その靴、すごくcool(カッコよい)でねぇ??」と通行人に声をかける人がいる。「それマジでほしいんだけど、どこで買ったの?」本当にほしいかどうかは別として、とてもステキだと褒めちぎる。頻繁にそういう場面に出くわす。そして、言われた方は悪い気はしない。場がとても和む。

そういう人々は「空気を読まない仕様」になっているらしいが、思ったら即行動、がNY流なのだ

反面、「空気を読む」ことに長けている日本人はどうであろうか。

空気を読んだ結果、人と違った行動をすることへの抵抗感がより強くなってしまうのではないか

冒頭の車椅子の女性は、一人でも「良い意味で空気を読まない」人が周りにいたならば、エレベーターに乗ることが出来たのだろうと思う。

日本人には世界に誇ることの出来る「モラルと道徳心」がある。それはもっと誇って良いと思う。

WCサッカーの日本人サポーターによる、スタジアムでのゴミ拾いが世界から称賛されたのは記憶に新しい。

車椅子のケースは、実は単純な話であると思うのだが、こういう話が社会問題化し「健常者vs障がい者」のような、対立する構図になってしまうこともあるのは、とても「残念な日本」だと思う。

私は海外にいても、心は決して外国人にはなれない日本人なので、このギャップにとてもとまどう。

ちなみにNY地下鉄の話に戻るが、私の妻によると、マンハッタン中心部の、タイムズスクエア近くの駅あたりで地下鉄に乗ると、大きな荷物を持って子供を連れていても、席を譲ってもらったりしたことはほぼ無いそうである。妻の分析によると、その周辺は、時間帯によっては、利用者の大半が観光客などで占められていて、地元民はほぼいないことも多いからなのではないか、とのことであった。

なるほど。

「全力でおせっかい」は、ある程度、ニューヨークの人たちの特質なのかもしれない

その地下鉄だが、最近の調査によると、日本ではありえないが、NYの地下鉄にあるエレベーターの10%は常時故障しているらしく(https://www.amny.com/transit/nearly-10-of-mta-elevators-out-of-service-at-any-given-time-report/ )

ベビーカーを担いであげたり、荷物をもってあげたり「全力でおせっかい」のニューヨークの人々の心意気(?)は、現実にも、この街には欠かせないものになっているようである。

今日もみなさん、良い一日を!

トップ写真:通勤ラッシュ時のニューヨーク地下鉄の改札(筆者提供)




この記事を書いた人
柏原雅弘ニューヨーク在住フリービデオグラファー

1962年東京生まれ。業務映画制作会社撮影部勤務の後、1989年渡米。日系プロダクション勤務後、1997年に独立。以降フリー。在京各局のバラエティー番組の撮影からスポーツの中継、ニュース、ドキュメンタリーの撮影をこなす。小学生の男児と2歳の女児がいる。

柏原雅弘

copyright2014-"ABE,Inc. 2014 All rights reserved.No reproduction or republication without written permission."