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.経済  投稿日:2023/4/12

賃上げ、商品値上げ、そして日本企業再生に繋がる『HR3.0』


小寺昇二(株式会社ターンアラウンド研究所 共同代表 主席研究員)

小寺昇二の「人財育成+経営改革」

 

【まとめ】

・従業員を巡る状況に地殻変動。「ジョブ型」雇用の増加と「人的資本の可視化義務」。

・企業のHRのあり方=人事異動、人事評価、人事担当部署のあり方が根本的に変わっていく。

・この「HR3.0」を各企業が意識し、企業経営を行っていくことが日本企業再生のカギ。

 

最近の企業関係のニュースで目立つのは、賃上げに関するものではないでしょうか?経団連、経済同友会の首脳が、賃上げを呼びかけ、そして名だたる大企業が、労組要求への満額回答、場合によってはそれを上回るベースアップを決定するといった、驚くようなニュースも出てきています。

参考記事:

経団連・十倉雅和会長「賃上げ、会員企業に呼びかけ」 – 日本経済新聞

(2023年2月26日日経新聞)

共同声明で賃上げ促せ – 日本経済新聞 

(2023年4月10日日経新聞 ※4月27日に経済同友会代表幹事就任予定新浪剛史サントリーホールディング社長)

安倍政権の頃から賃上げについては産業界に要請してきたように記憶していますが、岸田政権になってから、この動きは実効性のあるものになってきています。産業界としては、同時に商品・サービスの値上げもやってしまおうという思惑も伴っているはずです。

とは言え、いずれにせよ企業、企業従業員共に我慢をしてきた結果として継続している「失われた30年」の「デフレ・スパイラル」のを断ち切るために、政治、産業界の足並みが揃ってきつつあるのは事実でしょう。

しかしながら、他の先進諸国に後れを取ってきた競争力、利益率、企業成長といった点については、デフレ・スパイラルの解消というマクロ環境の改善以上に、企業体質の強化が必須です。

企業における「失われた30年」を招来した要因について、筆者が経営者と従業員という企業を構成する2つの要素に分解して説明するときに、

①リスクを取って設備投資を行うことを避けてきた(サラリーマン)経営者の問題。

②解雇規制に守られながら上がらぬ給与、後ろ向きな経営戦略の下で、会社にぶら下がりながら、前向きに働く意欲を失くしてきている従業員の問題の2つがあると考えています。

経営者については、「ガバナンス問題」として、社外取締役の選任だとか、アクティビスト(あるいはアクティビスト的な投資家)からのプレッシャーだとか、上場企業の経営者に関する投資家及び官からの監視という形でメスが入りつつありますが、実際のところ、未だ「ゆでガエル状態」(お湯に入れたカエルが、徐々に温度が上がって命に関わる温度になってようやく危機に気づいてももう手遅れという様)で望み薄の状態が続いているように感じています。

ところが、従業員を巡る状況については、賃上げといった、従業員のモチベーションを促進すること以外に大きな地殻変動が起こりつつあります。

それは以下の2つの要因によって起こっています。

まず、これまでの一斉、一律採用、ジェネラリスト育成という「メンバーシップ型」のやり方から、採用後の仕事に内容が特定されており、専門的なスキルや経験が求められる「ジョブ型」での雇用を採用する企業が増えてきていて、その結果、通年採用や中途採用が今後増加してくるという採用面での変化が見込まれますし、このことにより、採用面だけでなく、企業のHR(人事)自体のあり方全体、即ち人事異動、人事評価、人事担当部署のあり方が根本的に変わっていくはずです。

もう一つの要因が、今年度から上場企業に課されることになった「人的資本の可視化義務」です。

これまでの考え方では、従業員を、会社の節約すべき「コスト」として捉えていたわけですが、今後は経営戦略に沿った付加価値を産みだし会社を成長させる「資本」と見做し、投資=お金をかけることが必要であるということになるのです。当然資本である従業員にはウェルビーイング、つまり会社の内外において環境的にも、心身においても健康であるような良い状態を確保する必要があり、そのために研修、カウンセリングなどの投資を増やしていく必要もあるわけです。

そして経営戦略の実行やウェルビーイング改善の実効性を高めるために、経営戦略とリンクした人的面での施策に関する経営者自身の考えや、従業員への投資の状況、多様性も含めたウェルビーイングの達成度合いについて、「人的資本可視化」として今年度より継続的に開示が義務化されるのです。

年功序列、終身雇用慣行や、入社以降の長いマラソンレースの果てに多くの脱落者を出しながら社長を選んでいく昭和のHRのあり方を「HR1.0」とすれば、そのシステムが通用しなくなって成果主義の導入・そして失敗などに象徴させる模索の時期であった「HR2.0」に代わって、ようやく、付加価値を生み出す貴重な資本として位置付けられた従業員が、働きやすく、主体的に専門的な業務、経営戦略の実行によって会社を成長させていくような「HR3.0」の時代が始まろうとしている・・・

筆者が今「HR3.0宣言」としてこの概念を広めようとしている所以です。

「3.0」と言うと、最近のバズワードとしてWeb3というものがあって、この概念は様々な要素が入っていて少しわかりにくいのですが、GoogleやAmazonのようなある意味中央集権的なプラットフォームに代わって、分散的な「インターネットの民主化」と意味合いが強く、筆者が「3.0」としているのは、「戦後におけるHRの3段階目の新局面」と言う意味合いと、従業員が会社経営において資本という重要な位置づけを得て、会社の「パートナー」として、会社と一緒になって成長していく・・・「HRについての民主化」の2つの意図を込めています。

上記に述べてきた、「HR3.0」の内容について、多少具体的にまとめたものが下記の表です。

図)HR3.0の基本構図:筆者作成

 会社のHR部門の役割はともすると権力化する場合もある今の状況に比べ、ずっと小さい領域ということになるでしょうし、労働市場全体の流動性も高くなっていき、その結果給与水準についても、上がっていくことも想定されます。一方、従業員の側も終身雇用的な慣行に安住するわけにはいかなくなりスキルを磨いていく(リスキリング)ことも必要になってくると思われます。

 どうですか、「社畜」と言われた昭和の時代に代わって、新しい時代が始まる気配を読者の方も感じていただけましたでしょうか。

 従業員も変わらなくてはいけない、会社も変わらなくてはいけない・・・・。

失われた30年を経て、企業のHRが根本的に変貌していく「HR3.0」を各企業が明確に意識しながら、企業経営を行っていく、そのことこそが日本企業再生のカギになると筆者は考えています。

トップ写真:オフィス(イメージ)出典:Michael H/GettyImages




この記事を書いた人
小寺昇二

1955年生まれ、都立西高校、東京大学経済学部を経て、1979年第一生命入社。企業分析、ファンドマネジャー、為替チーフディーラー、マーケットエコノミスト、金融/保険商品開発、運用資産全体のリストラクチャリング、営業体制革新、年金営業などを経験。2000年ドイチェ・アセットマネジメントを皮切りに、事業再生ファンド、CSRコンサルティング会社(SRI担当執行役員)、千葉ロッテマリーンズ(経営企画室長として球団改革実行)、ITベンチャー(取締役CFO)、外資系金融評価会社(アカウントエグゼクティブ)、IT系金融ベンチャー(執行役員)、旅行会社(JTB)と転職を重ね、様々な業務を経験し、2015年より2022年まで埼玉工業大学情報社会学科教授


この間、多摩大学社会人大学院客員准教授、日本バスケットボール協会アドバイザー、一般社団法人横河武蔵野スポーツクラブ理事も経験(兼務)。


現在:ターンアラウンド研究所 共同代表 主席研究員、埼玉工業大学情報社会学科非常勤講師、公益社団法人日本証券アナリスト協会認定アナリスト、国際公認アナリスト


著作:「実践スポーツビジネスマネジメント~劇的に収益性を高めるターンアラウンドモデル~(2009年、日本経済新聞出版)、「徹底研究!!GAFA」(2018年 洋泉社MOOK 共著)など多数


専門:人財育成、経営コンサルティング、スポーツマネジメント、ターンアラウンドマネジメント、経済、コーポレートファイナンス


 

小寺昇二

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