メジャーリーグで再生を果たした藤浪晋太郎から日本社会が学ぶべきこと
小寺昇二(株式会社ターンアラウンド研究所 共同代表 主席研究員)
小寺昇二の「人財育成+経営改革」
【まとめ】
・藤浪晋太郎がMLBで活躍。潜在能力を見抜き、能力を発揮させる米野球界に学ぶべき。
・企業も人財育成に責任を持ち積極的に行うことが求められる。
・適材適所が見つけられる「流動性」が高い企業社会となることが人口減少社会では必要になってくる。
異次元、火星人・・・日米の野球界を震撼させるほどの活躍を見せている大谷翔平ほどではありませんが、大谷翔平の高校時代のライバルでもある藤浪晋太郎のメジャーでの動向が大きな話題になっています。
野球ファンが驚いている理由を列挙してみれば以下、一つではありません。
1. 入団したアスレチックスの先発陣の一角として期待されたものの、防御率が二けたを超えるほどズタボロに打たれ死球を連発したものの、下位リーグに降格されることもなく、セットアッパーとして配置転換されると、徐々に調子を上げていったこと
2.そして、調子を上げていくやアッと言う間の7月下旬に、ヤンキースを始めとする強豪ひしめくアメリカンリーグ東部地区において首位をひた走るオリオールズに、ワールドシリーズ制覇の野望を達成する1ピースとしてトレードされたこと
3.そもそも、「今シーズンの阪神がセ・リーグの首位を争っていられる大きな要因は藤浪がいなくなったこと」と口さがない阪神ファンから揶揄され、近3年で7勝しかできずに苦しんでいた彼に対して、先シーズン後メジャーの複数球団が獲得競争を展開し、「325万ドル、出来高も入れると最大425万ドル」にて、アスレチックスが阪神での10倍もの年俸で獲得したこと
なぜこんなに、日本とアメリカは違っているのか・・・・上記の点に対して漠然と驚いているのではなく、日本のスポーツ界、ひいては日本社会が学ぶべき示唆について考えてみたいと思います。
年俸の違いについては、「スポーツビジネス」の規模における彼我の差、ということになるわけですが、それだけで片付けるのではなく、才能ある人間(アスリート)の能力をいかに発掘し、そしていかにして開花させるのか、そうした観点でアメリカの優れた点に学ぶべきだということです。
A 潜在能力についての考え方
大谷の能力について、メジャーの選手、指導者たちが語る言葉で象徴的なのは、卓越した成績と同様に、「彼は、490フィート(約150メートル)のホームランをかっ飛ばし、同時に100マイル(約161㎞)の球を投げられる、スプリットの落差は・・・、スイーパーの曲がりは・・・」と言う数字での能力です。
藤浪の場合、藤浪の代理人を務める著名なスコット・ボラス氏がメジャー各球団に売り込んだのは、「アメリカでも、球威があって(MAX162キロ、平均150キロ台の直球)、とスプリット(140キロ台)がある投手はわずかしかいない。藤浪はそのカテゴリーに入る」ということからでした。
B 育成についての考え方
アメリカのスポーツビジネスの市場規模は、今や約14兆円と言われ(※スポーツ庁『スポーツ産業国際展開カントリーレポート アメリカ合衆国 United States of America』)、国を代表する産業の一つになっています。多額の資金が流入し、スポーツテクノロジーの進歩にも目を見張るものがあります。具体的には、フィジカル面での管理、戦術・戦略面での数字を使った進化があるわけですが、映像やデータを駆使したピッチングフォーム、玉の質の分析、そしてメンタルコントロールなどを通じた「人財育成」については長足の進歩を遂げているといって差し支えないでしょう。
数値を非常に大事にするということはもちろん、「潜在能力」、つまり「割安に買って、高く伸ばす」といった「成長」に関する視点が感じられます。
本質的な潜在能力さえあれば、それを活かして能力を発揮させることに、メジャー各球団は自信を持っているのです。この点、日本の野球界も学ぶところが大だと思います。もちろん、日本のスポーツチームにもスポーツテックはどんどん入ってきてはいますが、昔ながらの「先入観」によって選手の能力を決めつけ、育成の方法についてもまだまだ改善の余地があるのではないでしょうか?
藤浪の場合も、自分の速い球に自信を持って思いっきり投げ込めるようになったこと、即ち、分析やナレッジに基づくメンタル面、フォームの面での改善が再生に繋がっていると考えて良さそうです。
藤浪の代理人ボラス氏は、「スプリットを通じて、リリースポイントを習得したからだ。しっかり体重を軸足に残して腕を振り下ろすスプリットのリリースポイントを軸に、それから、直球の制球を磨くやり方。日本は、基本は真っ直ぐという考え方がある。直球を磨いて、そこから初めて変化球という意識。メンタル面の変化が好影響に繋がったと思う」と述べています。(スポーツ報知7月22日『藤浪晋太郎を「複数球団が必要としていた」代理人・ボラス氏がトレード内情&進化を語る…バラ色のオフも予言 : スポーツ報知』)。
以上、日米球界の差について書いてきましたが、日本の野球界も、選手を活かすということについて変化の兆しが見えてきます。
端的な例は、始まったばかりの「現役ドラフト」です。
実力がありながら燻っている選手を、各球団がリストアップしてドラフト制度のように移籍させるのですね。野球ファンならご存知の通り、阪神の大竹投手、中日の細川選手などが新たな球団において、チームの中心選手として水を得た魚のように大活躍しています。
▲表 出所:バスターエンドラン 『【プロ野球】現役ドラフトとは?仕組み・ルールをわかりやすく解説! | バスターエンドラン』
日本のスポーツ界においては、旧いしきたりなどが多かったプロ野球ですが、Jリーグなどの影響もあるのか、「シーズン中の移籍」も活発化しています。
さて、話を少し大きく、視座を少し高くして、上記の示唆から、人財育成に関して日本社会全体、特に企業社会が学べることはないのでしょうか?
それを述べる前に、アスレチックスの事情も押さえておきましょう。
藤浪を買ったアスレチックスは、「マネーボール」(マネー・ボール – Wikipedia)という書籍で紹介された有名球団です。「マネーボール」に描かれた統計解析によって選手の潜在力を計り、安く他球団に対抗するノウハウや考え方は、既に世界中のスポーツクラブ、特にメジャーでは吸収し尽くされ、メジャーではそれよりも数段上のイノベーションの時代になっています。20年以上経ってもアスレチックスが、基本的に資金力が豊かではないことは変わらず、一度買った経営資源であり「資本」である藤浪について、目論見通りの活躍をしなくても下部リーグに降格させず何とか再生して「資本の価値向上」することに躍起だったわけです。
日本企業においても、現在従業員について「人的資本」と捉え、人的資本に対して育成を積極的に行うなど、価値の向上、即ち能力向上を図ることが推奨され、上場企業の場合は「人的資本可視化」が今年度から義務化されました。今後、企業は人財育成を積極的に行い、経営改革を進めていくことが求められることになりました。
筆者の全くの想像ですが、アスレチックスの今春の思惑としては、メジャーの観点では、「とにかく藤浪は『安い』。少しでも改善できれば、他球団に移籍させ稼ぐことが出来るはずだ、投資リスクは低い」と考えたのではないでしょうか?
そういう欧米のビジネスライクな考え方に眉を顰める日本人は多いかもしれませんが、きちんと「人的資本」と認識して、育成には責任を持つということが、実際には選手(企業であれば従業員)の幸せに繋がるのです。
現役ドラフトに象徴されるように、適材適所が見つけられるように、従業員が輝ける場所を見つけられるように「流動性」が高まること・・・即ち一つの会社にしがみつき、場合によっては飼い殺しにあうようなことがないように、社内異動、転職などがスムーズに行える企業社会となることが、人口減少社会では必要になってくるという示唆も感じることが出来ます。
日本社会が変わっていくためには、古来から「外圧」が有効であるというのは歴史を見れば明らかですが、藤浪選手に学ぼうという今回の話も、正にそういう文脈での話です。
選手がボーダレスで動く時代だからこそ、日本球界にも影響が及んでいるわけですし、企業における人的資本開示というものも、グローバルに投資先が変えられる投資家からの要請という観点が強いので、外圧による変化と捉えることも可能です。
大谷選手、井上尚弥、17歳の車いすテニスプレーヤー小田選手、将棋の藤井7冠・・・世界を意識し、これまでの日本人の先輩たちを軽々と超えていく若い力がドンドン育っています。
先入観や悪弊をぶち破り、「外圧」と「若い力」が日本社会を変えていくことを願っています。そして、それは今正に始まっている、日本の株式市場を見るまでもなく、そんな息吹を感じる識者が増えているように感じます。
トップ写真:アスレチックスでピッチャーとしてマウンドに立つ藤浪晋太郎投手(2023年4月1日 米・オークランド)出典:Photo by Ezra Shaw/Getty Images
あわせて読みたい
この記事を書いた人
小寺昇二
1955年生まれ、都立西高校、東京大学経済学部を経て、1979年第一生命入社。企業分析、ファンドマネジャー、為替チーフディーラー、マーケットエコノミスト、金融/保険商品開発、運用資産全体のリストラクチャリング、営業体制革新、年金営業などを経験。2000年ドイチェ・アセットマネジメントを皮切りに、事業再生ファンド、CSRコンサルティング会社(SRI担当執行役員)、千葉ロッテマリーンズ(経営企画室長として球団改革実行)、ITベンチャー(取締役CFO)、外資系金融評価会社(アカウントエグゼクティブ)、IT系金融ベンチャー(執行役員)、旅行会社(JTB)と転職を重ね、様々な業務を経験し、2015年より2022年まで埼玉工業大学情報社会学科教授
この間、多摩大学社会人大学院客員准教授、日本バスケットボール協会アドバイザー、一般社団法人横河武蔵野スポーツクラブ理事も経験(兼務)。
現在:ターンアラウンド研究所 共同代表 主席研究員、埼玉工業大学情報社会学科非常勤講師、公益社団法人日本証券アナリスト協会認定アナリスト、国際公認アナリスト
著作:「実践スポーツビジネスマネジメント~劇的に収益性を高めるターンアラウンドモデル~(2009年、日本経済新聞出版)、「徹底研究!!GAFA」(2018年 洋泉社MOOK 共著)など多数
専門:人財育成、経営コンサルティング、スポーツマネジメント、ターンアラウンドマネジメント、経済、コーポレートファイナンス