年越しの風情くらいは残したい 続【2024年を占う!】その5
林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・除夜の鐘、近隣住民からのクレームが来るらしい。
・風情ではなく騒音だと受け取るのは、いささか寂しい。
・年末年始くらいは、もう少しおおらかな気持ちで過ごしたい。
昭和の時代、私のように東京で生まれ育った者でも、大晦日の夜はNHKで『紅白歌合戦』と『行く年来る年』を見て過ごすものと相場が決まっていた。
昭和の時代と言っても、最後の方は日本にいなかったのだが、知人が衛星放送を録画し、そのビデオを借りて別の友人らとみたことはある。1992年放送分で、米米CLUBというバンドの存在を初めて知った。結成は1982年と資料にあるが、翌83年に日本を離れているので、その後の活躍ぶりは知らなかったのだ。彼らの紅白初出場が1992年なので私の記憶は確かだが、考えてみるとすでに平成になっていたことになる。
ここ10年あまり、私は紅白歌合戦について、
「見る気もしないが、やめろと言うつもりもない」
というスタンスを取っている。見る気もしない、というのは「積極的には」という意味で、親族との年越しでは、BGMのようにTVの音声が流れているから、その年のヒット曲などは一応見る、といった程度だ。
やめろと言うつもりもない、とは要するに、見たい人もいる一方、見ない自由もあるのがTVなのだから、放送中止を主張するなどと、無駄な元気を出す気にもなれないので、それ以上でも以下でもない。
2023年の紅白は、新しい学校のリーダーズが紅組トップバッターに抜擢された。
女の子の4人組だが、翌日、つまり元旦早々に、震災のニュースに混じって、
「いきなりスカートめくれた、とネット騒然」
などと報じられていたのには呆れた。
おそらく地震発生以前に配信されたものであろうから、不謹慎だなどと言うつもりもないが、そもそも騒ぐようなことか、とは思った。
『オトナブルー』という楽曲だが、衣装がセーラー服で、歌い出しのところで脚を大きく広げる振り付けになっているだけの話である。さすがNHKの紅白と言うべきか、YouTubeなどに比べればおとなしい演出だった。中学校の生活指導教員みたいに目くじらを立ててどうするのか。
一方では、初出場とは思えない肝の据わり方、などと評価する声もあったようだが、たしかに唄いながら白組司会者(有吉弘行)を軽くいじったり、トップバッターとしては、いい仕事をしたと私は思った。
その有吉の司会がぐだぐだで評判が悪く、当人も放送終了後に「ド緊張した」とコメントしていたが、ふてぶてしさに目鼻を付けたようなイメージの彼にそう言わしめるのだから、よくも悪くも芸能人にとって紅白は特別な場なのだろう。女性アイドル歌手など、感極まって泣き出してしまった例が結構ある。
司会者のせいかどうかはともかく、視聴率は過去最低を更新してしまった。
ビデオリサーチ社の調べによると、1部、2部ともに低調で、とりわけ2部は史上初めて30%を切る結果になったそうだ(news gooより抜粋)。
たしかに、昭和の時代には70%を超えることも珍しくなかったが、今このような数字を持ち出すことに意味などあるのだろうか。
年末年始は単身世帯も含めて在宅率が高いのだが、今やTV離れの時代で、ドラマなど2桁ならまずまず、15%を超えたらヒット作だと言われている。大河ドラマの『光る君へ』にしてから、初回視聴率が12.7%と史上最低を記録してしまった。
裏番組で、新春恒例の『芸能人格付けチェック』(TV朝日系)が圧勝したという事情もあったのだが、その『格付け』にせよ20%をわずかに超えたに過ぎない。大河に主演している吉高由里子自身、結構『格付け』を見ていたそうで、視聴率で惨敗したと聞いても、
「それは、そうなるわな、という感じ」
などとコメントし、下剋上大河を目指す、と意気軒昂であった。
バラエティも然り。1986年に始まり、38年間続いた『日立 世界ふしぎ発見』(TBS系)も今年3月で放送を終了する。円安で海外ロケの費用がかさむようになり、広告効果との兼ね合いでスポンサーが降板したと伝えられる。今、そういうご時勢なのだ。
話を紅白に戻して、前述のような、TV番組を取り巻く状況を考えたならば、30%近い視聴率は、まずまず立派だと言えるのではないか。
紅白が終わると、NHKでは『行く年来る年』で各地の年越し風景を中継する。
除夜の鐘が鳴って新年となるわけだが、最近では鐘を鳴らすというより、こん、と小さな音を立てるだけで済ませる寺が増えているそうだ。
読者ご賢察の通り、近隣住民からのクレームが来るので、ということであると聞く。
「一晩中、鐘の音が響いては寝られない」
などと、クレームをつける側を擁護するような投稿も見受けられたが、ものを知らない人のようだ。
除夜とはそもそも、旧いものを捨て去る、といったほどの意味で、旧年の厄落としのためにと鐘を百八回撞くのだが、百七回は大晦日のうちに、そして最後に一回を元旦の零時に撞く、というのが一般的なのである。初詣客から申し出があれば「鐘撞き体験」も、ということで百八回以上になる例もあるらしいが、いずれにせよ「一晩中」鐘の音が鳴り響くわけではない。
百八回というのは、人間の煩悩の数であるとされる。
どうして百八なのかについては諸説あるが、四苦八苦という熟語から来ている、という話を聞いたことがある。
四苦(4×9)八苦(8×9)を合計すると108というわけだ。
小学生の頃の話だが、当時『巨人の星』(梶原一騎・作 川崎のぼる・画 講談社)という劇画が人気で、その中に、
「野球のボールの縫い目もちょうど108なのだ」
という台詞があった(星一徹・談)。ほんとかよ、と思って友人とわざわざ数えてみたところ、本当だったので感動したのを覚えている。なんでも、もともと米国の規定で116だったものが、縫い目の幅が狭すぎてバッチングの衝撃で切れやすいことから改めたそうだ。
後半は成人してから仕込んだ知識であるが、煩悩まみれのスポーツにふさわしい、などという与太話はさておき、年越しの行事として、いわれのあることだし、それを風情ではなく騒音だと受け取るのは、第三者がとやかく言うのも野暮かも知れぬが、いささか寂しいと思わずにはいられない。
英国ロンドンでは、トラファルガー広場でのカウントダウンが恒例だった。
元旦の午前零時になると、一斉にハッピー・ニューイヤーの声が上がり、相手構わずキスをしてよい風習なのである。これも一部の人から見たら、公開セクハラになるのではないか。
横浜の山下公園で年を越したこともあるが、やはり元旦の午前定時に、停泊中の船が一斉に汽笛を鳴らし、近隣のビル群がライトアップされる。すぐ近くの中華街では、そこかしこで爆竹が鳴らされる。除夜の鐘がうるさいのなら、あれはどうなのだ、という話であろう。
世知辛い今の世で、年末年始くらいは、もう少しおおらかな気持ちで過ごしたいものだ。
トップ写真:東京の新年(イメージ)出典:franckreporter/GettyImages
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。