2017総選挙ファクトチェックプロジェクト
国際  投稿日:2017/8/20

日米繊維交渉“善処します”誤訳伝説 その2

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檜誠司(ジャーナリスト、英日翻訳・研究家)

【まとめ】

・佐藤首相の“善処します”発言は伝説だったとの学説あり。

・佐藤-ニクソン会談、密使若泉敬によると繊維問題を巡る話し合いのキーワードは「年内」と「包括的」の2つ。

・日米公文書によると、佐藤首相は「年内」の解決は約束したが、「包括的な合意」は不適当であるとしてニクソン大統領に配慮を求めたところ、ニクソンは「包括的な合意」への譲歩を促した。

 

佐藤の密使だった若泉敬(写真1)の著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」(図1)によれば、若泉と赤谷源一(大臣官房審議官:当時)は昵懇の仲で、佐藤・ニクソン会談から1カ月半後の1970年1月12日、赤谷は若泉に対し「通訳それ自体はたいしたことはないんですが、その記録を作成するのは非常に苦労しました。だいたいが、中身四十分間くらいの会談で、記録を作るのに四時間はかかります。(中略)まあ、この記録は五十年間くらいは外に出ることはないでしょう」と語っていたのだ。

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写真1)若泉敬氏 出典:京都産業大学創立50周年記念事業シンポジウム HP

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図1)「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」 若泉 敬 (著) 出典:amazon

近年、日米で公文書の機密解除が進み、1969年11月の佐藤・ニクソン会談の遣り取りを詳細に検証できるようになった。日本大学の信夫隆司(しのぶたかし)教授(写真2)は両国の公文書を渉猟し、2006年に発表された学術論文集の中で「善処します」という発言はなく、「佐藤総理の“善処します”伝説」にすぎなかったと結論付けている。

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写真2)信夫隆司氏 出典:日本大学HP

本稿ではそれを踏まえ「善処します」の発言の有無を再考するとともに、岡崎久彦氏(元駐タイ大使)の「もっと踏み込んで約束したんですよ」の発言の背景を探るため、米側の公文書で「約束」についてどう言及されたのかを調べる。

繊維交渉の運命を決定づけたのは、3日間あった佐藤・ニクソン首脳会談の最終日の11月21日だった。若泉によれば、繊維問題をめぐる話し合いのキーワードは「年内」と「包括的」の2つだった。

「包括的」とは米側が要求していた「包括規制」のことだ。日本側が米繊維業界の被害調査を前提にした「選択(selective)規制」を求めたのに対し、「包括(comprehensive)規制」被害の有無に関係なくすべての毛および合繊を対象とする内容だった。

首脳会談に先立ち事務方同士で大枠が決まることが多いが、若泉によれば、佐藤・ニクソン会談では、若泉とキッシンジャーとの事前の打ち合わせで、首脳同士が合意するとの詳細なシナリオができていた。

つまり首脳会談では、ニクソンが繊維問題を取り上げ、佐藤が

①日米2国間でジュネーブで本格的な交渉を始め、具体的な協定として煮詰める必要がある。合意達成の期限は今年末までとする

包括的な規制の考えを実現したい。その内容の協定を、責任を持って作成する

③この2国間協定は「極秘」とする

④これは2国間だけで終わらず、関税貿易一般協定(GATT : General Agreement on Tariffs and Trade:ガット 筆者注・WTO=世界貿易機関の前身)の多国間会議で決める

などと述べるシナリオだった。

11月21日に実際にこのキーワードは登場したのか。日本側の公文書によれば、佐藤首相は次のように述べた。

「沖縄問題と本件がからみ合ってくることはなんとしても避けたい。(中略)ジュネーブで行なわれている話合いに関し、外部に発表する意図はないが、12月末までに話をつけ、その上ではっきりした形で約束するそこでもし、問題があったら、大統領から直接下田武三大使(写真3)(筆者注:当時の駐米大使)を招致し、話していただきたい。申すまでもなく自分は、このことにつき十分責任を取る用意がある

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写真3)下田武三氏 出典:最高裁判所HP

「12月までに話をつけ、その上ではっきりした形で約束する」とは、2段階にわたる手続きのようでやや分かりにくい日本語だ。重要なのは、米側に英語でどう伝わり、記録されたかである。とりわけ英語の「約束」の意味合いを持つ単語が米側の公文書ではいかに記録されているのであろう。

英語の公文書を筆者が翻訳すると、上記に相当する部分はこうなる。

「彼(筆者注・佐藤総理)は大統領に対し、沖縄に関係する“寛大な”決定および沖縄と繊維を個別に扱うことにも同意されたことに深い感謝の意を表した。正にこの理由で、彼は繊維に関して自身の深い責任を強く感じた。(中略)何よりも、大統領との合意は“完全に秘密”としメディアに発表すべきではない。12月までに、しかしながら、この問題は解決されることを彼は約束した(原文は promised )

彼は大統領に対し、いかなる問題が発生しても下田大使と自由に話し合うよう促した。彼は大使にはとるべき措置については詳細な説明を行っている。彼は大統領に対し解決策に達するために十分な責任を取ることを誓約した(同 pledged )」。

沖縄に関係する“寛大な”決定とは、沖縄返還に関してニクソンが“寛大な”決定を示したことを意味する。すなわち、佐藤は沖縄返還だけでなく、沖縄返還と繊維問題を別々に扱うことにニクソンが同意したことにも深い感謝の意を表明した。

さらに、佐藤は1つ目のキーワードである「年内」については「12月末」までと、期限を明示して、この問題が解決されることを「約束した( promised )」上で、繊維問題の解決について十分な責任を取ることを「誓約した( pledged )」のである。

この「年内」のキーワードについては、ニクソンも明確に言及しており、米側の公文書では、「大統領は言った。米国と日本が12月末までに合意することが重要だと。というのも、米国は両国間の了解を踏まえてガットにこの問題を提起したいからである」としている。

佐藤の発言から「約束promise」「誓約 pledge」の意思を受け止めたニクソンが「年内」合意を強く認識していたと考えられる。 

もう1つのキーワードの「包括的」はどうだったのであろうか。

日本側の公文書によると、会談の中で、佐藤は「これまでの交渉の過程で米側もcomprehensive (筆者注:この部分は日本語の公文書で英語表記になっている)の表現には固執しなくなってきており」などとして、「comprehensive(同) という表現の議論にもどすのは不適当と思うので、この際大統領において配慮してほしい」と述べたが、ニクソンは「comprehensive(同)という表現は一層むつかしい問題である」などとしながらも、「総理が selective(同)ではなく、 comprehensive(同)な agreement(同)に到達するように協力していただければありがたい」と指摘した。

この部分は米側の公文書では、「大統領は “comprehensive” の言葉の問題は一段と難しくなっていると述べた。(中略)彼は有り難く思うだろう。もし、むしろ、彼に米国内での深刻な問題を突き付ける“selective”な合意ではなく、総理が可能な限り協力し、可能な限り “comprehensive”な合意をまとめ上げてくれれば」と記録されている。

日本側の記録と発言の趣旨がほぼ一致するが、ニクソンが “selective” な合意だと、自身に深刻な問題が提起されることになると指摘している点に注目すべきである。つまり、キッシンジャーと若泉との間でつくられたシナリオとは異なり、佐藤がcomprehensive な合意は不適当であるとして大統領に配慮を求めたところ、ニクソンはcomprehensive な合意への譲歩を促したと考えられる。

その3に続く。その1はこちら。全4回。毎週土曜日掲載予定)

※この記事には複数の写真が含まれています。すべて見るにはhttp://japan-indepth.jp/?p=35649の記事をご覧ください

トップ画像:佐藤栄作首相とリチャード・ニクソン米大統領(1969年11月米ホワイトハウスにて) 出典/Richard Nixon Foundation HP

※本稿は、日本メディア英語学会東日本地区研究例会(2016年6月11日)の研究発表、同年末に日本通訳翻訳学会の学会誌「通訳翻訳研究への招待」に寄稿した論文を基に執筆した。日本メディア学会と日本通訳翻訳学会には感謝申し上げる。今回の執筆の際、論文を編集し大幅に加筆するとともに、論文中のすべての引用英文を翻訳した。

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この記事を書いた人
檜誠司ジャーナリスト、英日翻訳・研究家

早稲田大学大学院アジア太平洋研究科修了、修士(国際関係学)。時事通信社、米ブルームバーグ通信東京支局で日本語の記者・エディター、英語ニュースの翻訳者・エディターを担当。1992年-96年、時事通信社のニューヨーク特派員。ニュース英語・外交交渉の翻訳・通訳の実態を研究。立教大学などでニュース翻訳をテーマに講演。2017年2月にアルクより、共著で日本経済新聞社監修の「2カ月完成! 英語で学べる経済ニュース」を出版。

檜誠司

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