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.国際  投稿日:2020/5/24

中国漁船船員水葬の波紋拡大


大塚智彦(フリージャーナリスト)

「大塚智彦の東南アジア万華鏡」

【まとめ】

・中国漁船の船員〝水葬〟事案は国連に提起される問題に発展。

・各国の事情の違いが、中国に付け入る隙を与えているとの見方。

・東南アジアで目立つ中国や中国企業の横暴に、対中感情は悪化。

 

中国漁船に乗り組んでいたインドネシア人船員が操業中の太平洋で病死し、その遺体が海に投棄された「水葬」事件は、その後別の中国漁船でも同様の事案が発生していたことなどが新たに判明した。

こうした事態を受けてインドネシア政府は中国政府に抗議して真相解明を求めただけに留まらず、中国漁船に船員を斡旋、派遣していたインドネシアの派遣業者を人身売買容疑で容疑者認定したほか、スイス・ジュネーブにある国連人権理事会(UNHRC)に対して問題提起をするなど中国との2国間関係にとどまらず、国際問題に発展しようとしている。

こうした背景には中国漁船によるインドネシア人乗組員への過酷な環境での労働や人権侵害に抵触するような操業実態が次第に明らかになったことなどにより、国際社会、特に東南アジア各国がより厳しい目を中国に向け始めているという状況もある。

今回の一連の経過は4月27日に韓国南部釜山漁港に寄港した中国漁船3隻の船団から1人のインドネシア人船員が急病で地元病院に急搬送されたが、肺炎の疑いで死亡したことに端を発している。さらに1隻の漁船で密かにインドネシア人船員が撮影したという動画が韓国の文化放送(MBC)によって放映されて、ネットで拡散された。その映像に対しインドネシアでは衝撃が走った。

その動画には太平洋サモア沖海域で操業中に病死したとされるインドネシア人船員の遺体が入っているとみられるオレンジ色の遺体袋が甲板から中国人の手によって海中に「投棄」される様子が記録されていた。

この動画放映をきっかけに航海中のインドネシア人船員が1日18時間労働、酷い時には30時間連続労働、食事は6時間おきに10から15分、海水ろ過水か海水そのものを飲まされていたなどの過酷を通り越した人権上問題がある中国漁船の労働実態がMBCなどの取材で次々と明らかになったのだった。参考=514日「中国漁船、死亡船員を水葬に」

このためインドネシア外務省は3隻に乗っていた残るインドネシア人14人を即刻帰国させるとともに、5月7日には駐インドネシア中国大使館の肖千大使を外務省に呼んで事実関係の調査報告を求める事態になった。

 

■ ソマリア沖インド洋でも水葬事例

外務省や国家警察などの調査でその後、別の中国漁船に乗り組んでいたインドネシア人船員ハルディヤント氏がアフリカ北東部ソマリア沖で操業中に死亡、遺体は同様に1月23日、海中に投げ込まれて「水葬」されていたことが5月18日に判明した。ハルディヤント氏を撮影したというネット上にアップされた動画には同氏が1人で歩くことができず、仲間に支えられている様子が残されており、病気だった可能性がでている。この動画の撮影後にハルディヤント氏は船上で死亡したという。

こうしたことから中国漁船に乗り組んで航海中に死亡した場合、海中投棄という方法がこれまでも継続的にとられていた可能性も浮上している。

事態を重視したインドネシア政府は5月16日に中国漁船にインドネシア人を船員として斡旋して派遣していた派遣業3社を立ち入り調査し、書類などを押収、捜査した結果「違法な条件で違法に船員を派遣していたことは人身売買に相当する」として3社とその関係者を容疑者に認定、さらに捜査を継続している。

またインドネシア政府はジュネーブ駐在代表を通じてUNHRCに対して「漁業に従事しているインドネシア船員の人権状況について特に問題を喚起したい」と今後協議を行うよう求めた。

▲写真 国連人権理事会 UNHRC(2020年2月24日 スイス・ジュネーブ) 出典: GovernmentZA

中国側に対しても漁船の所有会社、船長などに対する事情聴取を通じてインドネシア船員との雇用契約が国際的な労働基準に準拠したものであるのか、操業中に死亡したとするインドネシア人船員の死因などに関する詳細な事実関係の究明と報告を求めている。

中国漁船の船長は「死因は感染症で他の船員への感染の恐れがあった」「水葬は家族の了承を得ている」「契約では操業中の死亡は水葬とするとなっている」と韓国の捜査機関などに主張していると伝えらえているが、インドネシア側はいずれの主張も確認できないとしている。

 

■ 東南アジアで横暴ぶり目立つ中国企業

今回は太平洋やインド洋で操業する中国漁船の過酷で非人道的対応が焦点となっているが、東南アジアでは中国企業による地方政府や地元住民とのトラブルが最近特に目立つようになっている。

フィリピンではマニラ首都圏で多数の中国人が観光ビザで入国して本土の中国人を対象にしたオンラインの違法カジノやネット詐欺に従事。中国政府の通報で摘発して強制送還させる事案が続いた。

またカンボジアやラオスなどでは中国企業による賃金不払いや工場からの有害物質による環境破壊や周辺住民の健康被害なども報道されている。

こうした事例は、東南アジア各国に深刻な感染被害をもたらせている新型コロナウイルスが中国・武漢から広がったことや、各国がコロナ対策で必死の最中に中国が領有権問題がある南シナ海に調査船を派遣してベトナムやマレーシアの排他的経済水域(EEZ)内に進入して調査をすることなどから、国際的な反発を招いている。一連の中国の行動、活動は東南アジア地域での対中感情の悪化を招いているといえる。

▲写真 南シナ海で訓練する中国海軍。写真は空母「遼寧」への発着訓練(2020年5月5日)出典:China Military

もっともラオスやカンボジアなどは中国政府の「一帯一路」構想に基づく巨額の経済援助、投資・開発・工場誘致などのため正面切って中国を批判することは控えざるを得ない状況となっており、その深刻な影響は一般国民が負わされる事態となっている。

フィリピン政府も南シナ海の領有権問題を中国との間に抱えながらも経済援助や対米関係とのバランスから硬軟両様を使い分ける外交となっており、こうした東南アジア各国の事情が中国に付け入る隙を与えているとの見方が有力だ。

そうした中、やはり親中国といわれるインドネシアのジョコ・ウィドド大統領だが、東南アジアで最も感染死者数が多く(5月22日時点で1326人)、感染者数はシンガポールに次いで2番目(同2万796人)というコロナ禍の感染拡大が止まらないことに加えて、3月初旬のインドネシア人初感染まで多くの中国人観光客がインドネシアを自由に訪問していたことなどに対して中国、中国人への国民視線が変化してきているという。

そこに今回のインドネシア人船員への深刻な人権侵害が疑われる事案が明るみに出たことで、インドネシア人の対中感情に微妙な影響を与え始めていることは間違いないといえそうだ。

トップ写真:中国・習近平国家主席(2020年5月23日 北京)出典:中国政府ホームページ


この記事を書いた人
大塚智彦フリージャーナリスト

1957年東京都生まれ、国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞入社、長野支局、防衛庁担当、ジャカルタ支局長を歴任。2000年から産経新聞でシンガポール支局長、防衛省担当などを経て、現在はフリーランス記者として東南アジアをテーマに取材活動中。東洋経済新報社「アジアの中の自衛隊」、小学館学術文庫「民主国家への道−−ジャカルタ報道2000日」など。


 

大塚智彦

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