ストリートピアノと「MOTTAINAI」「高岡発ニッポン再興」その7
出町譲(高岡市議会議員・作家)
【まとめ】
・小学校統合で使われなくなったピアノが高岡駅にストリートピアノとしてお目見え。
・学校統廃合で使われなくなるピアノは増える。高岡市を人と人をつなぐストリートピアノの街にしたい。
・「MOTTAINAI」と「Play Me, I’m Yours(私を弾いて。私はあなたのもの)」の言葉を大事にしたい。
高岡駅にお目見えしました。ストリートピアノです。
3月末に閉校した旧定塚小学校のグランドピアノが設置されたのです。駅の建物の中の南北自由通路なので、雨風には当たりません。
このピアノは、1978年から使用されていたヤマハのグランドピアノです。実に40年以上使われてきたものなのです。
私は想像を掻き立てます。
親子2代、もしかすると、3代にわたって子どもたちがその音色を楽しんできたのですね。音楽の授業、入学式、卒業式。毎年いろいろ使われていました。思い出がいっぱい詰まっているのですね。古いものですが、そんな風には見えません。学校がきちんと管理していたのですね。
私が駅に出向いた時には、男子中学生たちが楽しそうに弾いていました。これが日常風景になればと思います。
音楽あふれる街づくり。人の心を豊かにします。コミュニケーションの手段にもなります。
さらに、古いピアノが再活用される点も大事です。捨てずに、再活用する姿勢は、国際的にも重視されています。
日本では、昔から言われている価値観「もったいない」。それは今や、世界をつなげる合言葉「MOTTAINAI」になっています。
環境分野で初のノーベル平和賞を受賞したケニア人女性、ワンガリ・マータイさんが2005年に来日した際に「もったいない」という言葉に感銘を受けて、「MOTTAINAI」を広めたのです。
写真)「MOTTAINAI」を広めたワンガリ・マータイさん(2009年2月12日 米・ロサンゼルス)
出典)Photo by Jeff Kravitz/FilmMagic
平米小学校と定塚小学校が統合されて新しく高陵小学校が誕生したのは4月1日です。
引越し作業を私は視察しました。運び出される机やいす、行先の学校が表示されています。
「MOTTAINAI」という概念が学校関係者には浸透しているのです。
また、市民の間でも浸透しています。
学校統合直前の3月29日、あるピアニストの方はピアノが捨てられることに危機感を抱いていました。
「高岡市にストリートピアノを設置したい」、「統合で使われなくなったピアノを設置してほしい」と私に伝えてきました。
私がこの日、すぐにこの方の意向を教育委員会に伝えたところ、
「検討中」という返事でした。「検討中」が「実行」に移されたことは望ましいですね。
写真)定塚小学校の閉校式にて。筆者提供。
このピアノは、午前9時から午後6時半まで利用できます。設置期間は8月31日まで。利用状況を検証して、設置の継続を
検討するといいます。
それにしても、このストリートピアノという発想は、どこから始まったのでしょうか。
諸説がありますが、2008年3月イギリスのバーミンガムが
発祥の地とも言われています。
「Play Me, I’m Yours(私を弾いて。私はあなたのもの)」というプロジェクトです。
捨てられそうな古いピアノが一人称の「私」です。情に訴えかけるキャッチフレーズは、なかなかうまい。「古いピアノである私を捨てないで」と訴えているのです。この時、バーミンガム市の街中に15台のピアノが置かれ、人々が演奏したのです。
その後、10月にブラジル・サンパウロ、2009年1月にはオーストラリアのシドニーと世界に広まったのです。世界中の人が、ピアノで人と人とのつながりを求めたのです。この急速な普及。私は時代背景もあると思います。
2008年と言えば、9月にリーマンショックが起きました。世界で、貧困層が急増。弱肉強食の資本主義がぐらついたのです。
弱肉強食。古いものを捨て、新しいものに飛びつく。そんな新自由主義的な経済に、人々は疑念を抱くようになりました。
そんな時代を背景に、ストリートピアノは急増したのではないでしょうか。 音楽を通して、人と人とのつながりを求めたのです。
さて、高岡市です。これを機に私は、高岡市をストリートピアノの街にしたいと思っています。
今後、学校の統廃合に伴って、使われなくなったピアノはどんどん増えます。
屋根のある場所に、どんどん古いピアノを置けば、高岡市のイメージも大きく変わります。
「MOTTAINAI」と「Play Me, I’m Yours」。
私はなるべく横文字を使わないようにしていますが、この2つの言葉は大切にしたいと思います。
その6)
トップ写真)筆者提供
あわせて読みたい
この記事を書いた人
出町譲高岡市議会議員・作家
1964年富山県高岡市生まれ。
富山県立高岡高校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。
90年時事通信社入社。ニューヨーク特派員などを経て、2001年テレビ朝日入社。経済部で、内閣府や財界などを担当した。その後は、「報道ステーション」や「グッド!モーニング」など報道番組のデスクを務めた。
テレビ朝日に勤務しながら、11年の東日本大震災をきっかけに執筆活動を開始。『清貧と復興 土光敏夫100の言葉』(2011年、文藝春秋)はベストセラーに。
その後も、『母の力 土光敏夫をつくった100の言葉』(2013年、文藝春秋)、『九転十起 事業の鬼・浅野総一郎』(2013年、幻冬舎)、『景気を仕掛けた男 「丸井」創業者・青井忠治』(2015年、幻冬舎)、『日本への遺言 地域再生の神様《豊重哲郎》が起した奇跡』(2017年、幻冬舎)『現場発! ニッポン再興』(2019年、晶文社)などを出版した。
21年1月 故郷高岡の再興を目指して帰郷。
同年7月 高岡市長選に出馬。19,445票の信任を得るも志叶わず。
同年10月 高岡市議会議員選挙に立候補し、候補者29人中2位で当選。8,656票の得票数は、トップ当選の嶋川武秀氏(11,604票)と共に高岡市議会議員選挙の最高得票数を上回った。