お役所言葉「検討します」を追放 「高岡発ニッポン再興」その10
出町譲(高岡市議会議員・作家)
【まとめ】
・お役所言葉「検討する」が多用されている答弁書を読んでいて、出雲市長だった岩國哲人氏を思い出した。
・岩國氏は「検討する」を禁止、その場で「できる」「できない」と回答するよう指示。3つの回答期限も設けた。
・「行政は最大のサービス産業」としてスピード感覚と多くの改革を導入し、出雲市役所を変えた。
議員にとって極めて重要な仕事は、年に4回開かれる定例会での質問です。私は、去年12月定例会でカラス対策、3月定例会で空き校舎問題と財政健全化について質問しました。
今は、毎日市民の方々のお話を聞きながら、6月定例会に向けて準備をしています。新たなテーマを聞くのか。それとも、これまで質問したことを別の角度から聞くのか。思案中ですが、12月定例会、3月定例会の答弁書を改めて読んでいると、「検討する」という言葉が多くありますね。これは典型的なお役所言葉です。
写真)筆者。筆者提供。
それを読みながら思い出すのは、30年前に親しくさせていただいた当時の出雲市長、岩國哲人さんのことです。私は時事通信の記者として頻繁にお会いし、長男、哲太郎が誕生した際、岩國さんから「哲」という字をお借りしました。
岩國さんは、ニューヨークのメリルリンチに勤めていましたが、急きょ退社し、出雲市長に出馬しました。市長在任中、「行政は最大のサービス産業」と銘打って、土日の行政サービスや総合福祉カードの導入などを打ち出しました。
さらに、当時からゴミ問題に熱心に取り組み、ゴミ課を創設。出雲市商工会議所と協力し、過剰包装自粛のステッカーをつくりました。協力店はそのステッカーを貼るのです。
写真)衆院議員として国会で質問に立つ岩國哲人氏(2005年3月2日)
出典)民主党ホームページ
岩國さんは、地域の集会などに顔を出し、ステッカーを貼っている店で買い物するように、呼びかけました。
今思えば、過激だともいえるのですが、分かりやすい言葉で、具体策を打ち出す姿勢は、出雲市内だけでなく、全国で幅広く共感されました。出雲発の全国ニュースが頻繁に飛び出し、通信社の記者にとっては、岩國さんは大事なニュースソースでした。その結果、出雲市は、岩國さん就任後わずか2年で、トヨタ自動車やソニーと並んで、日本で最も優れた“企業”として表彰されました。JMA(日本能率協会)マーケティング最優秀賞を受賞したのです。
どうしてこんな短期間で出雲市役所は変わったのでしょうか。
岩國さんは、お役所言葉を追放し、出雲市役所が活気づいていると答えました。例えば、役人はよく「検討します」といいますが、岩國さんは、職員に対して、この言葉を御法度にしたのです。まずその場で「できる」「できない」と回答するように指示しました。その上で、回答できないものについては、「1週間以内」「1か月以内」「3か月以内」の3つの期限を設定し、回答するようにしたのです。「3か月以内」というのは、市議会にかけなければならないケースです。アメリカの証券会社で培われたスピード感覚を導入し、出雲市役所が変わったのです。
岩國さんはまた、就任からわずか半年で、今でいう「出雲駅伝」を実現しました。富士通にスポンサーになってもらい、フジテレビの全国放送枠で始めたのです。当時は「駅伝」という名前は使用できなかったのですが、1994年から「出雲駅伝」という名称になりました。今では確固たる地位を築きました。箱根駅伝、全日本大学駅伝とともに日本3大大学駅伝となっています。
私が島根県に赴任したのは1992年。岩國市政が誕生して3年目でした。さまざまな変化を目の当たりにしました。それから30年、出雲市役所の職員は、「やはり岩國さんがあれだけ全国で有名にしてくれて、そのいい影響は今でも続いている」と語りました。
さて、高岡市議会6月定例会。私は今回もいろいろな質問をしようと思っていますが、当局からはまた、「検討します」が何度も出てくるのでしょうか。
(その1、その2、その3、その4、その5、その6、その7、その8、その9)
トップ写真)出雲大社。出雲市職員は「岩國市政の良い影響はいまも続いている」と話す。筆者提供。
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この記事を書いた人
出町譲高岡市議会議員・作家
1964年富山県高岡市生まれ。
富山県立高岡高校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。
90年時事通信社入社。ニューヨーク特派員などを経て、2001年テレビ朝日入社。経済部で、内閣府や財界などを担当した。その後は、「報道ステーション」や「グッド!モーニング」など報道番組のデスクを務めた。
テレビ朝日に勤務しながら、11年の東日本大震災をきっかけに執筆活動を開始。『清貧と復興 土光敏夫100の言葉』(2011年、文藝春秋)はベストセラーに。
その後も、『母の力 土光敏夫をつくった100の言葉』(2013年、文藝春秋)、『九転十起 事業の鬼・浅野総一郎』(2013年、幻冬舎)、『景気を仕掛けた男 「丸井」創業者・青井忠治』(2015年、幻冬舎)、『日本への遺言 地域再生の神様《豊重哲郎》が起した奇跡』(2017年、幻冬舎)『現場発! ニッポン再興』(2019年、晶文社)などを出版した。
21年1月 故郷高岡の再興を目指して帰郷。
同年7月 高岡市長選に出馬。19,445票の信任を得るも志叶わず。
同年10月 高岡市議会議員選挙に立候補し、候補者29人中2位で当選。8,656票の得票数は、トップ当選の嶋川武秀氏(11,604票)と共に高岡市議会議員選挙の最高得票数を上回った。