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.国際  投稿日:2022/7/3

陰謀説の危険 その5 日本の陰謀症候群を体験して


古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)

「古森義久の内外透視」

【まとめ】

・ライシャワー元日本大使発言に対し、日本の核アレルギーを減らすためのレーガン政権が意図的な報道をさせたとの陰謀説広がる。

・「IBM産業スパイ事件」に対しても、日本側企業を狙い撃ちしたレーガン政権の陰謀tの説広がった。

・簡単に説明のつかない国際的な出来事を「陰謀だ」と断言する習癖は日本国内では積年の慣行である。

 

これまで陰謀説とその危険性についてのこの連載では主として米欧や中国に光を当ててきた。陰謀説の歴史はやはりヨーロッパやアメリカが長いのである。しかし日本でもその傾向は顕著なのだ。

この連載のスタートがそもそも日本でのウクライナ戦争に関する陰謀説の実例をあげたことでも明白なように、日本での陰謀説症候群、つまり陰謀を生む病理的とまで呼べる社会の異様な現象は根強いのである。

この日本での陰謀説現象を私は身をもって、体験してきた。ときには陰謀説の標的となることがあったのだ。その結果、被害を受けたこともある。いくつかの実例を紹介しよう。

旧聞ではあるが、まず第一はいまから41年前、ライシャワー発言報道をめぐる体験である。

私は1981年、当時、所属していた毎日新聞を休職し、アメリカの民主党系研究機関のカーネギー国際平和財団に勤務した。上級研究員という立場での一年間の研究活動の機会を与えられたのだ。その際の研究・調査のテーマは日米安全保障だった。

その研究の一環として私はエドウィン・ライシャワー元駐日大使にインタビューした。日米安全保障や日米同盟のあり方に対する彼の見解を詳しく尋ねることが主目的だった。するとライシャワーは私との長時間の一問一答のなかで「アメリカの海軍艦艇は日米両国政府の公式否定にもかかわらず長年、日本の港に核兵器を搭載したまま寄港を重ねてきた」と語ったのだ。

この発言は日本側の「核兵器は製造せず,持たず,持込みを許さない」とする非核三原則が虚構だったことを物語っていた。だから大ニュースだった。私が東京の当時の同僚や先輩たちと協力して、このライシャワー発言を毎日新聞で報道すると、日米両国で大騒ぎが起きた。日本の非核三原則の「持ち込みを許さない」という部分は虚偽だったことを意味したからだ。

日本の国会でもライシャワー発言は大きく取り上げられ、アメリカ側でも混乱が起きた。当時のアメリカではちょうどロナルド・レーガン政権が誕生したばかりだった。レーガン大統領は就任早々、ソ連との対決姿勢を打ち出し、米軍の大規模な増強を始めていた。

そんな時期の私の報道に対し日本側の一部では「ライシャワー発言はアメリカ側の陰謀なのだ」という声が起きた。その陰謀説は複数の日本のメディアで実際に活字にもなった。「日本の核アレルギーを減らすためにレーガン政権がライシャワーと毎日新聞記者の古森を使って意図的な報道をさせたのだ」という説だった。要するにこの発言や報道がアメリカが事前に企図した意図的な陰謀なのだとする説なのである。

だがこの陰謀説には根拠がなかった。想像、妄想の産物だといえる。なぜなら当事者としての私はライシャワー氏にも、アメリカ政府側にも、そんな事前の準備や計画をすることは物理的に不可能だった状況をよく知っていたからだ。

ライシャワー氏にはインタビューの前に質問や討論の内容は具体的になにも知らせていなかった。彼としてはなにがテーマになるかも知らなかったのだ。しかも民主党の年来の支持者であるライシャワーが共和党のレーガン政権と組むはずがない。

だがなぜか日本にいる一部の消息通は当事者の私が知らないことをみな知っていて「陰謀説」を堂々と述べるのだった。ただその「陰謀」を裏づける具体的な証拠を示す人はだれひとりとしていなかった。

第二の実例はその翌年の1982年だった。

この年の6月、アメリカで「IBM産業スパイ事件」というのが起きた。アメリカ側の捜査当局が日立製作所と三菱電機の社員など6人を逮捕するという事件だった。日本側の6人がIBM社の産業技術の機密情報を盗んだという容疑だった。

日本側でのこの事件への反応は冒頭からかなりゆがんでいた。本来ならスパイをしたとされる側の名称をとって「日立・三菱産業スパイ事件」と呼ばれるほうが自然だった。だが日本側ではスパイの主体はあくまでIBMであるかのように響く名称をつけていたのである。

そのうえで、このときも日本側で陰謀説がどっとわき起こった。以下のような内容だった。

「日本企業をアメリカ市場から締め出すための陰謀」

「日本側企業を狙い撃ちしたレーガン政権の陰謀」

「日米貿易摩擦での日本側をワナにかけた政治的な捜査」

こんな言葉が実際に日本側の雑誌や新聞の見出しになった。もちろんそのような趣旨の記事が出たからである。だがこれらの「陰謀」には根拠はなかった。

これらの陰謀説はどんな趣旨かといえば、同事件は単なる刑事摘発ではなく、レーガン政権の諸関連機関が一体となり、日本産業界に目をつけて、うまくワナにはめた政治的攻撃なのだ――という骨子だった。

この捜査にあたったFBI(連邦捜査局)が日本人容疑者に対しておとり捜査を実施したことが日本側のその種の「説」をことさらあおる結果を生んだようだった。

この陰謀説に従えば、アメリカ側では日本との貿易問題で中心となる通商代表部(USTR)がFBIと組んで、事前に周到な準備をしたうえで刑事捜査に踏み切った、というシナリオとなる。

私は当時、前述のカーネギー国際平和財団での研究活動を終えて、また毎日新聞のワシントン駐在特派員にもどっていた。このIBM産業スパイ事件ではすぐに舞台となったカリフォルニア州のサンノゼに飛んで報道にあたった。現地で各方面の取材にあたったが、いくら調べてみても、アメリカ側の「陰謀」を示すような事実はただの一つも出てこなかった。

私自身の記者としての能力が不足しているからその陰謀の証拠をみつけられないのかもしれないと、謙虚に自省もした。そのうえで取材をさらに徹底させてみても、結果は同じだった。

普通の刑事事件の捜査や起訴という根幹が明白なのだ。

一方、日本にいる「消息通」たちはどういうわけか太平洋のはるか彼方の陰謀を見抜いて、その趣旨を断言するのである。

以上、二つの実例はいずれも40年も前の出来事である。現代との共通性は少ないという指摘もあるだろう。だがその一方、日本での陰謀説の横行というのは、それほどの歴史を有するということなのだ。

陰謀説があくまで根拠のない主張だということを証明するのは容易ではない。そもそも陰謀という現象自体が秘密に覆われ、実態の不透明な出来事なのだ。それを事実だと証明することは根拠さえみつければ、簡単かもしれない。だがそれが事実ではないことを証明するのはもっとずっと難しい。存在するかしないかわからない事象を存在しない、と断ずることには、いつも疑問の余地が残るからだ。

しかしここで指摘した二つの実例は私自身がほぼ当事者だった。少なくとも当事者に接触していた。だからこの事例の実態をかなり正確に知りうる立場にあった。その立場からみて、日本での陰謀説が虚構であることが明白だったのだ。だから簡単には説明のつかない国際的な出来事をみて「陰謀だ」と断言する習癖は日本国内では積年の慣行であることがこの報告でかなりの程度は明らかにできたと思う。日本のなかの陰謀説症候群である。

(つづく。その1その2その3その4

トップ写真:上院の公聴会でベトナム戦争について証言するライシャワー氏 出典:Photo by © Wally McNamee/CORBIS/Corbis via Getty Images




この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授

産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。

古森義久

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