実力の世界とジェンダーについて(上)娯楽と不謹慎の線引きとは その6
林信吾(作家・ジャーナリスト)
林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・将棋の「棋士編入試験」にのぞんでいた里見香奈・女流5冠の挑戦が失敗に終わった。
・将棋界もまた、構造的な男女の壁は取り払われつつある。
・あとは、女性棋士たちが実力で地位を築いてゆくのが正しいあり方ではないだろうか。
9月末から10月にかけては、気分が高揚するというか、楽しくなるようなニュースがほとんどなかった。読者にはあらためて説明するまでもないであろうが、著名人の訃報が相次ぎ、景気は悪く、コロナ禍はだいぶ落ち着いてきたかと思った矢先、第8波の脅威が言われ始める始末だ。
まあ長い人生、こんな時期もあるだろうと思うしかないが、13日には、将棋の「棋士編入試験」にのぞんでいた里見香奈・女流5冠の挑戦が失敗に終わった。プロ棋士としてはもっとも下位である四段3人と対局し、1勝でもすれば望みがあったのだが、結果は全敗。
彼女は12歳でプロとなり、女流のタイトル戦を次々に制して、史上最強の女流棋士との呼び声も高く、この挑戦も五分五分くらいと見る向きも多かったのだが、前述の通り厳しい結果であった。またの機会を期待したいところだが、本人は「これが実力」と認め、再度の挑戦はする意思がない、と語っている。訃報とは違うが、つくづく残念だ。
私などには、技術的な解説は荷が重すぎるが、棋士たちにせよ、ここがよくなかった、と明確に指摘することはできなかったようだ。つまりは地力の差なのだろうが、未だに男女の実力差はそこまでなのか、と強く印象づけられたのである。
ネットニュースのコメント欄では、
「長考とか体力勝負の部分もあるから」
といった声もあったが、これは説得力がない。将棋よりも対局時間が長い囲碁では、プロに男女の別はないし(女流だけが参加できるタイトル戦はある)、逆に将棋の対局でも、一手何分以内というルールの「早指し戦」があるが、それでも女流が勝利を博することは滅多にない。
囲碁・将棋ともにその道のプロは棋士と呼ばれるが、将棋の場合、棋士と女流棋士とは別々のカテゴリーに属している。囲碁はそうではない。これが現実なのだ。
もう少し厳密に言うと、将棋界はプロになれる資格を男性に限定しているわけではない。将棋連盟が運営する新進棋士奨励会(以下、奨励会)という組織があり、ここで優秀な成績を収めた者だけがプロになれる、というシステムだ。
この奨励会には、誰か棋士に弟子入りして、その師匠の推薦を受けて入会するのが普通で、はじめからプロを目指す者だけが集まる。
六級から始まり、何連勝もしくは何勝何敗、という規定をクリアするにつれて招集してゆく。二段までは東西つまり関東と関西に分かれているが、三段になると東西合同での総当たりリーグ戦に参加することになる。この三段リーグが半年ごとに行われ、上位2位までが四段に昇段できる。四段以上がプロ、ということはすでに述べた。
入会資格に男女の別はないが、年齢制限はあり、20歳までに初段、そして26歳までに四段になれなければ退会となる。退会勧告ではなく問答無用の規定だ。藤井竜王のように、中学生にして四段になることも可能である一方、多くは挫折してゆく。なにしろ制度上、年間4人ずつしかプロになれないのだから。
早い話が、1928(昭和3)年に東京奨励会、その7年後に関西奨励会が誕生して以来、上記の規定をクリアしてプロになった女性が1人もいない、ということなのである。そもそも女性の入会者が戦後まで存在しなかった。
では女流棋士=女性のプロとはなんなのかと言うと、これも歴史的経緯があって、1960年代に、当時将棋連盟副会長であった大山康晴永世名人らが、女性の将棋人口を増やしていくには、女流だけが参加できるタイトル戦などを開催したり、独自の段位制度を設定するのがよいと訴えた。当初は反対意見も多かったと聞くが、紆余曲折を経て1974年に女流の制度が発足し、第1期生として6人の女流棋士が誕生した。
棋士の場合、連盟に登録される棋士番号というのがあり、女流棋士の1番は鮹島彰子女流三段である。実は彼女は、女性の奨励会員第1号で、初段まで昇進したものの結婚を機に退会したという経歴の持ち主である。
ならば当時の将棋界に、男尊女卑的な考え方はなかったのかと言うと、どうもそうではなかったようだ。後に王位の座にも就く森雞二九段は、鮹島一級(当時)に敗れた際、自分に活を入れるためとして頭を丸めてしまったし、
「タコちゃんに負けたら坊主になる」「師匠に罰金を取られる」
などと公言していた奨励会員は他にもいたと聞く。
そもそも女性初の奨励会員とあって、彼女にだけは指し分け(5勝5敗)でも昇級できるという特別のルールが設けられていた。その森九段の弟子の中から、前述の史上最強と称された里見女流五冠が出たところが、また面白い。
女流の段位の他にも、アマチュアには独自の段級・級位が設けられており、こちらは年齢や性別などに関わらず、将棋連盟が実施する試験に合格すればよい。
ただ、プロの最高位が九段であるのに対し、女流は七段、アマチュアは六段までしか一般的に認められない。
実力差はどうなのかと言うと、Eテレ(NHK教育テレビ)の将棋講座でMCを勤め、将棋親善大使にも任じられた伊藤かりんは、アマチュア初段で「アイドル最強」を自認している。ちなみに2019年まで乃木坂46のメンバーであった。
彼女はあるイベントで、実際に女流の二段に二枚落ち(上手=プロが飛車角抜き)で勝ったことがあり、番組内でも賞賛されていた。
私もこの番組のファンで、こんなかわいい子と、一度でいいから将棋を指してみたいと思っていたのだが、これを聞いて引いた。プロに二枚落ちで勝つ相手では、私の手には余るかも知れない。平手すなわち駒落ちのハンディなしならば、どうなるか。
彼女自身もYouTubeの企画で、香川愛生(かがわ・まなお)女流四段に平手で挑んだことがある。結果は私の予測の斜め上を行き、見たことも聞いたこともない「王手飛車角取り」というのをくらって惨敗、もとい、玉砕した。
まあ長い目で見れば、女性の棋士、ひいてはタイトル保持者も、いずれは誕生するだろう。今ではAIで局面を分析し、最善手を探るのが当たり前になってきているが、この傾向も女流棋士の棋力向上を後押しするに違いない。
日本は女性の社会進出が遅れていると前々から言われている。これは早急になんとかしたいものだが、と言って、企業の管理職を何パーセントまで女性にするよう法整備すべき、という考え方には賛成できない。それこそ逆差別の問題を引き起こすだけだろう。
本シリーズの最初の方で、落語界も早く男女の壁を取り払うべき、と述べた。
将棋界もまた、構造的な男女の壁は取り払われつつある。あとは、女性棋士たちが実力で地位を築いてゆくのが正しいあり方ではないだろうか。
老若男女を問わず楽しめるのが将棋なのだから……と述べると、スポーツはどうなのか、といった声も聞かれそうだ。
これについては、次回。
トップ写真:将棋イメージ 出典:ⓒaoi33/PhotoAC
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。