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.国際  投稿日:2022/12/19

刑法改正で混乱 インドネシア


大塚智彦(フリージャーナリスト)

「大塚智彦の東南アジア万華鏡」

【まとめ】

・インドネシアでは刑法が婚前交渉と同棲を禁止するよう改正された。

・これが観光客にも適用されることもあり、観光地であるバリ島を中心に批判が相次いでいる。

・他にも、言論の自由や伝統、性的少数者の権利に踏み込む条項があり、刑法改正反対のデモが続いている。

 

インドネシア社会が揺れている。独身のインドネシア人男性は同郷の恋人と年末年始に国際的な観光地でもあるバリ島への旅行を計画していたが、実行を躊躇している。

そのバリ島で日本人女性と遠距離恋愛中のバリ人男性が正月休みを利用して訪ねてくる彼女に予定を中止するように伝えるか逡巡している。彼はバリ人の妻がいる既婚者で日本人女性とは不倫関係にあるのだ。

こうした現象がインドネシアで予想されているのは刑法が改正されたことがその原因である。

12月6日、インドネシア国会は全会一致で刑法改正案を可決し、同案は成立した。

今後施行細目や関連法の整備を経て3年後に施行される新刑法だが、その内容が大きな衝撃を以てインドネシアだけでなく国際社会にも受け取られているのだ。

オランダ植民地時代の1918年に制定された旧刑法を時代にアップデートする目的で改正案が審議されてきた。太平洋戦争が終わり独立した直後からこの刑法改正は議論されてきたが、長年積み残されてきた。2019年から国会での議論が本格化したが、反対する政党の存在が可決を阻んできた経緯もある。

さてその新刑法の最大の焦点となっているのが結婚前の男女による性交つまり婚前交渉と同居、いわゆる同棲が禁止され違反した場合は婚前交渉は最高で禁固1年の刑、同棲は最高で6ヶ月が科されるという条項である。

■観光地バリが猛反対

旧刑法では既婚者の不倫、婚外性交が禁止されていたが、新刑法ではそれに加えて婚前交渉(性交)と同棲が禁止されたのだ。

これはつまり未婚のカップルや恋人同士による性交、同居を阻止することが目的で、バリ島などを訪れる外国人未婚カップルなどの観光客にも適用されることから大きなニュースとなったのだった。

観光産業への依存が高いバリ島はコロナ感染拡大などで海外からの観光客が激減し、ホテルや観光地、飲食関連、お土産物屋などは大きな打撃を受けた。しかしコロナ感染の減少に伴い再び観光客が増加し、観光産業の復活の途上にあった。

そこにこの刑法改正の厳しい規定が明らかになり、実際に海外からの観光客のキャンセルが相次ぎ、バリ島観光業界は再び暗転の危機に瀕しているのだ。

このためバリ観光協会や政府、観光創造経済省や法務人権省などは火消しに躍起となっている。

未婚者の婚前性交や同棲はあくまで男女いずれかの両親や兄弟、親族などからの通報に基づいて警察が捜査、摘発に当たる「親告罪」であることを強調しているのだ。

バリ島観光協会やホテル関係者などは外国人のチェックインに際してパスポートの提示が必要になるが「パスポートから既婚か未婚か男女の関係などのプライバシーに踏み込むことはない」として安全は確保されていると必死の説明を行っている。

サンディアガ・ウノ観光創造経済相も「親告罪」であることから「刑法成立後も公共の場でのプライバシーは保証される」と訴え、法務人権省幹部も「刑法の理解が不足しているため過剰な懸念が生じている」として国民や国際社会への重ねての説明が必要なことを明らかにしている。

政府は関係者がインドネシアに駐在する外国人記者を集めて改正刑法も趣旨を説明して誤解を解こうとしている。

「婚前性交や同棲の禁止がプライバシーの権利に影響を及ぼす懸念がある」と指摘した国連に対しは外務省がインドネシア駐在の国連職員を呼び出して「誤った情報を流布した」と抗議をしたほか、観光客が多いオーストラリアやシンガポール、インドに対する説明の徹底を図っている。

■大統領への侮辱、妊娠中絶関与も禁止

このようにインドネシアでは官民を挙げての火消し、誤解の解決にあの手この手で専心しているが、問題を惹起しているのは「婚前交渉や同棲の禁止」ばかりではなく、他にも国民が疑問視する条項が多く存在している。

大統領、副大統領への侮辱」は最高刑3年が科されるという条項だが、健全な批判が侮辱と恣意的に解釈されると摘発の対象となる。これは報道機関やブロガーなどによる大統領らへの批判を封じ込める狙いがあるとして報道の自由、言論の自由を守る立場から抗議活動が起きている。

また旧刑法でも禁止されていた妊娠中絶だが、新刑法では妊娠中絶に関する情報拡大や勧誘、紹介は医療関係者や福祉関係者などに限定し、それ以外は最高で100万ルピア(約8700円)の罰金刑に処せられる可能性がある。

また呪詛を行い特定の相手を不幸に陥れたりする「黒魔術の禁止、最高刑1年6カ月」も盛り込まれているが、摘発、訴追された場合に何を証拠として他人への呪詛を立証するのか疑問が噴出している。

インドネシアには他人の幸福や健康、結婚式当日の好天などを願う「白魔術」も存在し、庶民の間に引き継がれている民間習俗、伝承でもある。新刑法はこうした「魔術」の世界にも踏み込んでいるのだ。

人口は世界4位の人口約2億6000万人でその88%がイスラム教徒という世界最大のイスラム教徒人口をインドネシアは擁している。 

しかしイスラム教を国教とはせず憲法ではイスラム教、キリスト教(カソリックとプロテスタント)、仏教、ヒンズー教、儒教の信仰を保証するという多様性国家であり、国是として「多様性の中の統一」「寛容性」を掲げている。

新刑法では宗教の冒涜罪も強化されたほか、裏付けのない偽情報、フェイクニュースなどの故意による流布などへの厳しい対応も規定されている。

婚前交渉や同棲などに見られる条項はインドネシアで圧倒的多数を占めるイスラム教の禁忌や習慣、習俗、規範を色濃く反映した物で、「多様性や寛容」を掲げながらもイスラム教、イスラム教徒の教えや意向に反することは認められないというインドネシアの現状がみてとれる。

このため性的少数者であるLGBTQや少数民族、憲法の規定外の少数異教徒などの人権に関わってくる可能性も指摘され、首都ジャカルタなどでは刑法改正反対のデモが繰り広げられているのだ。

トップ写真:インドネシアのバリ島のサーフビーチの様子(2022年12月8日) 出典:Photo by Agung Parameswara/Getty Images




この記事を書いた人
大塚智彦フリージャーナリスト

1957年東京都生まれ、国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞入社、長野支局、防衛庁担当、ジャカルタ支局長を歴任。2000年から産経新聞でシンガポール支局長、防衛省担当などを経て、現在はフリーランス記者として東南アジアをテーマに取材活動中。東洋経済新報社「アジアの中の自衛隊」、小学館学術文庫「民主国家への道−−ジャカルタ報道2000日」など。


 

大塚智彦

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