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.国際  投稿日:2016/9/28

イスラム排斥掲げる極右政党台頭 白豪主義忍び寄る豪州


大塚智彦(Pan Asia News 記者)

「大塚智彦の東南アジア万華鏡」

南半球のオーストラリアに白人優越思想である「白豪主義」の足音が再び忍び寄っている。極右政党「ワン・ネーション」が7月2日投票の総選挙で議席を獲得して復活、党首のポーリン・ハンソン議員が9月14日に当選後初の議会演説に立ち「オーストラリアはイスラム教徒に飲み込まれようとしている」などとイスラム教徒への嫌悪感を露わにして、イスラム教徒排斥を訴えたのだ。
 
暴言、失言、過激な発言から「フィリピンのトランプ」と呼ばれるドゥテルテ大統領が話題を振りまいているフィリピンに続いて、宗教、人種間の差別をあおる発言から「オーストラリアのトランプ」とまで言われるハンソン議員のオーストラリア。そして「本家のトランプ氏」が大統領選で突っ走る米国と、太平洋の東西南3カ国で「トランプ」が人気と支持を集めているこの現象は、テロや経済格差という社会、生活への人々の不安が潜在的な「差別意識」や「優越感」の種火に油を注いだ結果とも指摘されている。果たしてこれは時代の必然なのか、オーストラリアに白豪主義は再び蘇ることになるのだろうか。
 
■対象をアボリジニからイスラムにハンソン議員は前回1996年の下院議員当選時の議会演説でも激しい人種差別発言を行って一躍注目を集めた。その差別攻撃の矛先は「オーストラリア土着の先住民アボリジニとアジア系の人々」だった。この時の演説では「多くのオーストラリア人と同じように私はアボリジニの人々が最もこの国で不利な環境に置かれているとの思い込みに基づく政府による逆差別化、納税者の税金の使われ方の不公平さにうんざりしている」とアボリジニの人々に集中砲火を浴びせたのだった。
 
ところが今年9月14日の議会演説でハンソン議員は差別の対象をアボリジニやアジア系から「イスラム教徒」に転換して激しく批判、その差別、排斥を訴えたのだ。約30分に及んだ演説でハンソン議員は「ムスリム」「ハラル」「ISIS(イスラム国)」「ブルカ(イスラム教徒の女性の被り物)」「テロリズム」「急進性」「イスラム」という単語を45回も盛り込んだ。それはほぼ1分に1回以上という頻度である。
 
■得意の個人感情の一般化で批判演説でハンソン議員は「イスラムは民主主義、言論・出版や集会の自由を信用せず、政教分離も考えない」「無差別に移民を受け入れてきた結果、攻撃的で多様な価値観は犯罪をエスカレートさせ社会の結束力を弱めている」「多くのオーストラリア人は近所を夜独り歩きすることに恐怖を感じ、国民の多数がテロに怯えながら生きている」「イスラム教徒の服役囚は平均の3倍であり、失業率は平均の2~3倍」「我々の文化とは全く相いれない文化のイスラム教徒にオーストラリアは飲み込まれそうとしている」と個人の感情をオーストラリア人一般の感情に置き換えてイスラム教徒を批判した。これはハンソン議員の常套手段である。
 
そのうえで「イスラム教徒の移民の中止、モスクやイスラム学校の建設中止、既成のイスラム学校での教育内容のモニター開始、ブルカ着用の禁止、企業のハラル認証への支払い停止」などを挙げて、国民のイスラム憎悪感情を焚き付けることに終始した。
 
ハンソン演説に対し、「緑の党」所属議員が退場して反対の意思を示した。しかし議場の残った他の議員の中にも「退場することで(ワン・ネーション側を)を満足させてはいけない。上院は議論する場所である」として差別演説に反対を表明する議員もいたという。
 
■不安の相乗効果がハンソン人気へハンソン議員が初当選を果たした1996年当時のオーストラリアは、キーティング政権が多様な価値観、文化を積極的に取り入れる独自のアイデンティティー確立を目指して、
(1)英国旗が含まれているオーストラリア国旗の独自デザインへの変更
(2)イギリス女王を戴く立憲君主制から大統領共和制への移行– — などを打ち出し、かつて放棄したとされていた「白豪主義」を完全に葬り去り「多文化主義(マルチ・カルチャリズム)」に基づく新たな国の在り方を模索していた。
そうしたオーストラリア人のアイデンティティー見直し過程で生じた不安感に加えて、アジア系移民の増加を反映した社会的格差の拡大、失業率の悪化による生活不安などが相乗効果をもたらし、ハンソン人気に結びついたとされている。
 
その後国旗改定は実現せず、共和制移行を問う国民投票でも現状維持が多数となり、次第にワン・ネーション支持は下落、ハンソン議員も議席を失い、詐欺容疑で逮捕されるなど「過去の人」となるとともに「白豪主義」的なものは霧散したようだった。
 
ところが2016年7月2日の総選挙でワン・ネーションは59万3000票を獲得、議席を得てハンソン議員は不死鳥のように復活したのだ。復活・躍進の背景には一部とはいえオーストラリア国民が抱くイスラム教徒への漠然とした不安感があったのは間違いないだろう。
 
2014年12月にシドニーで発生した「リンツ・ショコラ・カフェ」のテロ事件ではイラン人の犯人が人質をとって立てこもり、突入した治安部隊によって射殺され、人質2人も死亡した。中東で相次ぐイスラムテロ組織「イスラム国」による外国人殺害やミャンマー軍政から逃れたイスラム教徒ロヒンギャの難民をはじめとするイスラム教徒の増加で総人口に占めるイスラム教徒の割合は約2%、47万7000人に達している。
 
■「恐れるべきは誰なのか」
こうした背景がハンソン復活に拍車をかけ「オーストラリア人の不安を増幅した」と分析されている。社会、経済、生活不安が高まると「過激思想」「差別主義」が幅を利かせてくる傾向はオーストラリアに限ったことではなく、フィリピンのドゥテルテ大統領が圧倒的支持を得て選出された背景には「麻薬犯罪の蔓延、富裕層出身政治家への嫌悪、低迷する経済状況と改善しない経済格差」があったとされている。
 
米大統領選挙にしても既存の政治家にない「言いにくいことをズバリとはっきり口にする」ことがトランプ人気の背景にあり、合法、非合法を含めたヒスパニック系移民の増加、イスラム教徒による犯罪やテロの拡大、中東政策の行き詰まり、経済格差の増大などフィリピンやオーストラリアと同様な背景、環境があるといえそうだ。
 
ハンソン議員の再登場、演説をオーストラリアのメディアは大きく報じたが、その論調は極めて冷静で、「白豪主義の復活」や「イスラム教徒などへの差別」には断固として反対する立場を鮮明にしている。とはいえ、あくまでハンソン議員の主張や言動に対するだけで、支持者である有権者の選択に対しては中立公平な立場に終始している。
 
一方で上院のデリン・ヒンチ議員(デリン・ヒンチ正義党)は「この国のイスラム教徒47万人より12万人も多い59万人がワン・ネーションに投票した。我々が恐れるべきは果たしてどちらなのか」と述べて、イスラム教徒より白豪主義へのノスタルジーを抱くオーストラリア人に警鐘を鳴らしている。
 
■オーストラリア人の心に潜む思い
かつてハンソンが国政に登場したときのオーストラリアでは「白豪主義復活」「ネオナチと同じ」などという批判とともに「愛国心の発露」「郷に入っては郷に従え、つまり豪に(移民や難民として)来たら豪(の文化、習慣、制度)に従え」という議論が噴出した。
 
白豪主義から多文化主義への転換を掲げてきた歴代の政権、さらにワン・ネーションの出現を許した過去の経緯などを踏まえて、イスラム教徒への差別はこれまでのところオーストラリア全体では「ごく一部の極論」に留まっている。
 
筆者の個人的な経験から、こうした抑制の効いた冷静なオーストラリア人の反応は、地方に行けば行くほど、年齢が高くなればなるほど、複雑な「別の顔」を見せてくる。もはや白豪主義など過去の遺物であると思う一方で、地方に住む年配者のオーストラリア人に接すると、笑顔を見せながら心のどこかにアジア人を見下していることが「言葉使い、視線、態度など」からで感じることがあるのも事実だ。
 
西部の内陸都市カルグーリー周辺を訪れた時には町中の人の視線が痛いほど刺さってきて「恐怖心とまではいかないが警戒心」が芽生えた。シドニー国際空港では感じない居丈高で高圧的な年配の係官の言葉使い、態度を北部ダーウィンの国際空港でインドネシア人の同僚と一緒に痛感したこともある。
 
■「前進あるのみ」の国章のごとく
もっともそれは日本人も例外ではなく「欧米人にはへりくだり、中国人や韓国人、東南アジア人には居丈高になる。一部であってもその傾向は政治家やメディアにもみられる」との指摘があることも事実だ。
 
「ハンソンは例外中の例外」「一部のオーストラリア人の不満や不安のガス抜きの役割に過ぎない」と言って笑い飛ばす知人のオーストラリア人には白豪主義のかけらも感じられない。そうしたオーストラリア人たちが年齢を重ね、地方都市にまで増えていけば、ハンソンあるいはハンソン的人物が政治の表舞台で脚光を浴びることはないだろう。どの国、社会、組織、団体にも「ハンソン」は存在するだろうが、肝心なことは「言論の自由」を認めながら「多文化主義」を許容する寛大さで前進することだ。そうすれば忍び寄る白豪主義の足音に何ら恐れを抱く必要はなくなる。
 
オーストラリアの国章に描かれているカンガルーとエミューは同国を代表する動物で、後ろ向きに歩くことができない動物。「前進するのみ」のシンボルでもあるのだから。

この記事を書いた人
大塚智彦フリージャーナリスト

1957年東京都生まれ、国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞入社、長野支局、防衛庁担当、ジャカルタ支局長を歴任。2000年から産経新聞でシンガポール支局長、防衛省担当などを経て、現在はフリーランス記者として東南アジアをテーマに取材活動中。東洋経済新報社「アジアの中の自衛隊」、小学館学術文庫「民主国家への道−−ジャカルタ報道2000日」など。


 

大塚智彦

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