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.社会  投稿日:2021/8/15

ABEMAドラマ「酒癖50」小出恵介さん衝撃の復帰作


田中紀子(ギャンブル依存症問題を考える会代表)

 【まとめ】

・ABEMAのドラマ「酒癖50」が小出恵介さんの復帰作として話題に。

・Twitterでは「衝撃的」「多くの人に観て欲しい」等の感想あふれる。

・テレビ業界は失敗した人々を排除するのではなく、再起を応援する社会へと牽引して欲しい。

 

現在、インターネットテレビのABEMAで無料視聴できる「酒癖50」。小出恵介さんの復帰作として話題になっているが、これがアルコール問題に対する衝撃的な啓発ドラマになっており非常に面白い。

日本はアルコールに寛容な国であり、大スポンサーとしても影響を及ぼすことからか、ドラマや映画といったエンタメでアルコールのマイナス面に目を向けられることはとても少ない。時々ドラマなどでアルコール問題が取り上げられる場合も、重度のアルコール依存症者のケースが殆どで、どちらかといえばアルコールの負の側面というより、パーソナルな問題として切り取られがちである。

ところがこの「酒癖50」は、社会人なら誰でも一度以上は目にしたことがある酒癖を切り取り、啓発が万人向けにエンタメ化されているのである。

しかも「あるある!」と思わずうなずいてしまうエピソードを悲惨な結末で描いているのだが、思いっきりデフォルメされているため、視聴者としては暗く、陰惨な気持ちにならずに、フィクションとして面白く観ることができる。この手法には正直「やられた!」という気持ちで驚きと興奮を隠せない。

▲写真 小出恵介氏(2010年10月12日) 出典:Photo by Sports Nippon/Getty Images

私たちのような依存症関連の支援者が啓発を映像で伝えようとすると、細部までリアリティや偏見を生まないようにと表現にこだわってしまうため、どうしても説明っぽさがでてしまう。例えば「依存症を克服した」という台詞があったとすると、「いやいや、依存症は完治したとは言い切れないので、ここは『依存症から回復し続けている』の方が良い」と考えてしまう。つい「依存症の支援団体が作るのに、正確な言葉遣いをしなくては関係各署から突っ込みが入る。」と防御反応を起こし、台詞が専門的になり、一般の方からすると分かりにくい不自然な言い回しになってしまう。業界の内部事情と自分たちのこだわりが振り切れないのである。

私もギャンブル依存症の啓発をTwitterドラマで行っているが、自然な言い回しでわかりやすく啓発することに最も苦心している。

昨年もこんなことがあった。高知東生さんが「生き直す」という自叙伝を出版された際に、高知さんや出版社から相談され、あえて「私は薬物依存症でした」という帯コピーにしたのだが、案の定これも依存症の当事者、支援者の数名から指摘を受けた。「依存症に完治はない。過去形で言い切るのはおかしい。逆に心配だ。」といったものだ。

しかし依存症で悩むご家族などからは「依存症に完治はないと聞いて絶望した。」という声があるため、これは意図的に使ったものである。私個人としては、最近は「依存症は治る。けれども再発しやすいので日頃のケアが大事」という言い方を相手によって使い分けるようにし、依存症に対してもっと希望の持てる説明の仕方はないかと模索しているが、専門職の考えはおそらく一つにまとまることはないであろう。

知りすぎているがゆえに殻を破れないという専門性は、一般の方に広く啓発したいという大義とぶつかってしまうところがある。

ドラマ「酒癖50」は依存症の啓発ではなく、アルコールの諸問題「イッキ飲ませなどのアルハラ」「酒乱」「(飲むと気が大きくなる)無礼講」「性的被害」などを扱っているが、我々が抱えるような葛藤をぶち破り、一般向けの啓発に大いに役立っている。

これは設定が「謎のコンサル酒野 聖(さけの せい)によるアルコールを嫌いになるプログラムを受ける」というものになっている部分が大きいと思う。つまり「お酒はほどほどに飲みましょう」という予防教育的なものでも、「アルコール依存症は治療が必要な病気です」といった啓発でもなく、「酒を嫌いになる」という非現実的な設定がエンタメ化に成功したと感じる。

しかもこの謎のコンサルという非現実的な設定は、実は日本企業の未来のあるべき姿としても大きな学びがある。手法は全く違うが、海外企業では「自社内に酒、薬物、ギャンブルなどに問題のある社員にどうアプローチし、治療を促すか?」という介入の研修が人事部等の管理部門向けに行われている。このような取り組みが、日本でも企業内で進んで欲しいと私たちも数年前から呼びかけている。

しかしなんと言ってもこのドラマの真骨頂は、謎のコンサル酒野 聖を演じているのが、小出恵介さんという点である。

ご存じの通り、小出恵介さんは人気絶頂時であったにもかかわらず、未成年者との飲酒と不適切な関係で無期限謹慎処分となってしまった。そして謹慎明けの復帰作がこのドラマとなったのである。私はこの決断をした小出恵介さんやスタッフの皆様の勇気に心からのエールを送りたい。

芸能人であろうと誰であろうと、どんな人も人生に失敗はつきものである。けれども大切なのはその失敗から何を学び、どう生かしていくかということだ。しかし人は頭では理解できてもやはり自分の失敗を恥とし、隠そうとしてしまう。私のような一般人ですらそうなのだから、ましてや芸能界のような人気商売に関わる人々は、尚さら「触れないで欲しい」「忘れて欲しい」という思いが強いであろう。

ところが小出恵介さんはあえて自分の失敗に向き合い、「酒癖」というテーマで再起を果たされた。最高に説得力のあるキャスティングである。逃げも隠れもせず、自分が失敗したテーマで堂々と失敗からの学びを世間に訴えかけられた。その話題性と、ドラマの完成度の高さから、ご覧になった人々から賞賛の声があがっており、Twitterでは「衝撃的」「自分を見ているよう」「多くの人に観て欲しい」などの感想があふれている。

しかもこの難役に取り組んだ小出恵介さんに対するバッシングは殆ど皆無である。隠そう、逃げよう、言い逃れで誤魔化そうとすれば、姑息さから人は執拗に追求したくなるが、逆に圧倒的な勇気と、自己開示を目にすれば、人はそういう正直さを応援したくなるものなのだなぁと改めて実感する。

 「酒癖50」は日本のTV業界(地上波ではなくネットTVだからこそ実現できたのかもしれないが)に、新たな方向性を示したと思う。影響力の大きいテレビ業界は何らかの問題で失敗した人々を排除するのではなく、再起を応援する社会へと牽引して欲しいと願う。タレントコメンテーターのしたり顔をした説教話など百害あって一利なしである。

失敗の経験は消し去ることはできない。だとしたらその経験を生かす方向に持っていくしかない。それが当事者のためにも社会のためにもなるとこのドラマ示唆しているように思う。

アルコール、薬物、ギャンブルといった太古の昔から人がハマりやすいものは、失敗がつきものである。もちろん自己責任が皆無とは言わないが、自己責任論だけでバッシングしていてもなんの解決にもならない。それよりも今回のキャスティングのように、小出さんだからこそ演じられる、伝えられるものがあると、周囲の人は失敗からの学びに光をあてる手を差し伸べて欲しいと思う。この度のABEMAの英断に拍手を送りたい。

▲動画 「酒癖50」

トップ写真:パブのテラスで乾杯する人々 ポーランド、クラクフ 2020年5月18日(イメージ) 出典:Photo by Omar Marques/Getty Images




この記事を書いた人
田中紀子ギャンブル依存症問題を考える会 代表

1964年東京都中野区生まれ。 祖父、父、夫がギャンブル依存症者という三代目ギャンブラーの妻であり、自身もギャンブル依存症と買い物依存症から回復した経験を持つ。 2014年2月 一般社団法人 ギャンブル依存症問題を考える会 代表理事就任。 著書に「三代目ギャン妻の物語(高文研)」「ギャンブル依存症(角川新書)」がある。

 

田中紀子

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