食料安全保障に目覚めよ(上)今こそ「NO政」と決別を その6

林信吾(作家・ジャーナリスト)
林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・核戦争になれば世界6億人近くが餓死に直面する。
・食糧増産が世界の人口増に追いつかず近未来の食糧不足が懸念。
・食料は今や石油と並ぶ戦略物資になっている。
食料品・日用品の値上げラッシュに歯止めがかからない。
昨年来、野党などは「岸田インフレ」などと攻撃したが、これは当を得ていないと、多くの人が思ったのではないか。
強いて言うなら「プーチン・インフレ」で、ロシアによるウクライナ侵攻と、これに対して西側諸国が実施した対ロ経済制裁の結果として、石油や天然ガスなどのエネルギー、さらには小麦をはじめとする食材の価格が高騰したわけだから。
今回のシリーズは農業・農政がテーマだが、これは当然ながら食糧問題に直結している。
戦争で原油や食料の輸入に支障を来している事態に対して、現政権はいささか緊張感が足りないのではないか。その意味では、岸田インフレという呼称の是非はともかく、首相にはなんの落ち度もない、とまでは言えないと思う。
実際問題として(考えたくもないことだ、というのが本音ではあるけれど)、この紛争が核戦争に発展したならば、欧米の物流はほぼ全面的に止まり、そうなれば世界人口のうち6億人近くが餓死の危機に直面する、との試算もある。
その(つまり餓死の危機に直面する億人近くのうち)3分の1は日本人だ、という推論までネットの一部では開陳されているが、明確な根拠など示されていないので、ここでは深く立ち入ることはしない。
ただ、単なる妄想だ、などと斬り捨ててよい話でもない。
シリーズの最初の方で述べたが、戦争のような事態がなくとも、食糧の増産が人口増加に追いついていない上に、その食糧の分配がきわめて不平等であるからこそ、近未来の食糧不足が懸念されていたわけだ。
わが国の場合、食力自給率が低いにも関わらず、飢餓に対する危機感が薄いどころか、飽食とまで言われる状況であったのは、工業製品を輸出して農産物を輸入する、という経済構造が、未来永劫に続くかのように思われていたからである。
実際にバブル景気の頃、首都圏の事業用・住宅用物件が不足しているとして、
「首都近郊の農業を〈安楽死〉させてでも、宅地開発を進めるべき」
「金融資産も外貨も、今やあり余っている。そうした資金でカリフォルニア州やアーカンソー州の水田を大量に買って、米はそこでつくればよい」
などと述べてヒンシュクを買ったエコノミストがいた。
おめでたい、とはこういうことを言うのだろうと、私などは当時から思っていたが、今さら執拗に批判すると、後出しジャンケンではないか、といった誤解を招きかねないので、あえて名前は伏せるが。
ヒンシュクを買ったというのは、どちらかというと「農家の立場はどこにあるのか」という感情論が多かったが、冒頭で述べてように『全国農業新聞』に賞を得ていた私の亡父などは、水田は天然のダムとして環境保全にも寄与しているのだ、という趣旨の文章を書いていた。私などは、それもそれで都会の消費者の理解は得られにくいのでは、と考えたが。
その後バブルは崩壊したが、今度は円高ドル安のおかげで食料品も含め「輸入した方が安い」という考えが浸透し、今に至るも日本人の骨身にからんでいるようにさえ見受けられる。
いかなる観点からも戦争を正当化することはできないが、今次ロシアによるウクライナ侵攻の結果として、食料品・日用品の値上げラッシュに見舞われたことで、日本の食糧自給率の低さという問題に、一人でも多くの人が着目してくれたら、とは思う。
逆のケースについて考えると、話は分かりやすくなる。
アルゼンチンの経済破綻など、もはや完全なる「旧聞」と化した感があるが、餓死の危機を感じている人などまずいない。むしろ国を挙げて、ワールドカップの優勝で盛り上がっていた。やはり世界屈指の農業国だけに、食料が不足するという事態をリアルに受け止められないのだろう。
ギリシャも然り。2009年に世界を震撼させた、世に言うギリシャ危機に際しても、国民の多くは意外に悠然と構えていた。
もともと地中海性気候の国土は野菜や加地を豊富に産し、海産物も豊富。北部には国葬もある。これが古代文明の発展を支えてきたのである。
現在のギリシャも、日本では「観光以外にまともな産業などない」というイメージで見られるきらいがあるが、食糧自給率は140パーセント以上。小麦からワインまで、ヨーロッパ屈指の輸出国でもあるのだ。
この問題では、ギリシャ人の知人が日本のメディアから取材を受けたのだが、
「誰も暗くなってない。お酒とダンスを楽しんでる」
という発言だけが切り取られて報じられたと憤慨していた。いかにも日本のマスメディアらしいと言うか、そういう国民性なのだ、ということで片付けられてしまったのだろう。
さて、前回は牛乳、前々回は牛肉の問題を取り上げたので、今回はひとまず米の問題を中心に話を進めたい。
日本人、とりわけ都会で暮らす人々には、あまり知られていない事実だが、米という農作物は大別して二種類ある。
ひとつは短粒種すなわち丸っこいジャポニカ種で、いまひとつは細長いインディカ種だ。
日本人が一般に「お米」と認識しているのは、言うまでもなくジャポニカ種だが、これは日本列島と朝鮮半島、中国の黄河流域以北で作られている。言い換えれば米食文化の中にあっては少数派であり、しかもこれらの地域は消費人口が多いため、輸出余力はほぼない。
あとは前述のように米国西海岸でも栽培されているが、小麦やトウモロコシの生産量と比較したなら、微々たるものでしかない。
一方、細長いインディカ種は広く栽培されているのだが、日本人の口に合うとは言いがたい。「外米」という言葉も今では死語になっているが、1990年代初頭に、冷害で深刻な米不足に見舞われた際には、タイから緊急輸入された。
つまりバブルの頃に騒がれていた「米の市場開放問題」というのは、日米間の貿易問題に過ぎなかった。
もうひとつ、この問題からも明らかなことだが、食料は今や石油と並ぶ戦略物資になっている。
1995年に『ポスト団塊世代の日本再建計画』(清谷信一氏と共著・中央公論社)という本を出していただいたのだが、その中でもこの問題に着目し、
「兵器を買ってコメを守れ」
という表題にて、一章を割いたほどである。
自動車をはじめとする日本からの「輸出の洪水」が米国政財界の怒りを買い、その結果が、米の市場開放を求める外交圧力であるとの文脈で、
「ただでさえ石油で(=石油メジャーに)首根っこを押さえられているのに、この上食料で下の急所を握られてよいのか」
という主旨の議論を展開した。
いささか品性に欠ける表現であるとの批判は甘受するが、穀物メジャーの尻馬に乗って「近郊農業の安楽死」を主張した手合いに比べれば、私の方が遙かに愛国者であると思う。
ならば日本の米作はどうすれば健全な物となり得るのか。その考察は、次回。
トップ写真:イメージ 出典:okugawa/GettyImages
あわせて読みたい
この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。
