結局は公明党次第なのか(上)続【2024年を占う!】その7
林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・1月18日、岸田首相、岸田派解散を発表。
・「政治改革に関する中間取りまとめ案」、派閥全廃の記載なく、政策集団としての存続容認を示唆。
・岸田首相、自民党内部をひっかきまわしただけ。今後の政界再編はどうなるのか。
「政界は一寸先が闇」
これは1960年代後半(64年7月から70年11月まで)自民党副総裁を務めた、川島正次郎の言葉である。その前は1957年から60年まで岸信介総裁の下で自民党幹事長を務め、その後池田勇人、佐藤栄作と二代の総裁の下で副幹事長を務めた。
残念ながらこれ以上詳述する紙数はないが、1960年には顕著であった、党人派(地方議員などからたたき上げてきた面々)と、世に言う吉田(茂)学校の流れを汲む官僚派との派閥争いに際して、生粋の党人派でありながら、土壇場で官僚派の池田支持に寝返るなど、党内抗争で暗躍し、勝ち抜いてのし上がった政治家である。つまり冒頭の言葉は、理念ではなく偽らざる実感だったのだろう。
さて、本題。
岸田首相は18日、突如として
「岸田派(=宏池会。以下も同様に表記する)を解散するつもりだ」
とメディアに発表。政界に激震が走った。
翌19日午後、東京地検特捜部は、昨年末から捜査を進めていた、派閥主催のパーティーをめぐる事件で、安倍派(=清和会または清和政策研究会)の会計責任者が過去5年間で6億7503万円、二階派(=志帥会)の会計責任者は2億6460万円のパーティー券収入などを派閥の政治資金収支報告書に記載していなかったとして、政治資金規正法違反(虚偽記載)で在宅起訴したと発表した。
岸田派の会計責任者も、2020年までの3年間に計3059万円の未記載があったとして、略式起訴となった。在宅起訴も略式起訴も逮捕され身柄を拘束されることはないが、前者は刑事罰を求められ、後者は一般に罰金刑を求められる。
この件では、安倍派の幹部であるところの大物政治家たちも立件されるのでは、との観測が広まっていたが、蓋を開けてみれば、任意で事情聴取はしたものの、会計責任者との共謀が立証されなかったとして、全員不起訴となった。ただ、検察審査会に対して不起訴不当の申し立てをする動きがあり、今後のことは未だ不透明だ。
いずれにせよ岸田首相の、突然の発表は検察の機先を制したと言えるもので、発表を聞いた記者たちも度肝を抜かれたことであろう。
シリーズ第2回(1月15日掲載)でも触れたが、4日の記者会見で岸田総理は「政治刷新本部」を発足させると表明していた。このため同本部に名を連ねた議員からは、
「今までの議論はなんだったのか」「これではまるでクーデターだ」
などと不満の声が噴出したと聞く。
たかだか2週間で、どれだけの議論が積み上げられたのか、という詮索はさておきて、こうした経緯を受けて、マスメディアはこの騒ぎを「岸田の乱」と名づけた。
この日から1週間、私は朝昼晩とニュースサイトをチェックし、世論調査にも目を配ったが、案の定と言うか、これで自民党が派閥のしがらみや金権体質から脱することができると考えた人など皆無に近いことが分かった。実際問題として23日に発表された「政治改革に関する中間取りまとめ案」においては、派閥全廃という文言はどこにもなく、むしろ政策集団としての存続を容認することが示唆されていたのである。
たとえは悪いが、かつて暴力団が政治団体に衣替えしたことを彷彿させる。
どういうことかと言うと、1964年から69年にかけて、警察庁が旗振り役となって、全国の暴力団に対する徹底的な取り締まりが行われた。暴力団組織はピラミッド型であり、末端をいくら捕らえても埒があかないと、幹部クラスが標的となったことから、頂上作戦と呼ばれる。この「第1頂上作戦」を受けて、山口組を除く大半の暴力団がひとまず解散し、政治結社に衣替えをして生き残りを図ったのである。
この頂上作戦についてだが、前年、すなわち1963年暮れに「関東会」を名乗る団体が、
「自民党は派閥抗争をやめろ」
という主旨の文書を党本部や議員会館に送りつけたことと無関係ではない、と見る向きが当時から多かった。
関東会とは、後にロッキード事件で有名になる右翼フィクサー・児玉誉士夫の肝煎りで旗揚げされた団体で、住吉会、松葉会、錦政会(=稲川会)などが名を連ねている。いわば暴力団が連名で自民党に諫言したことになるわけで、国家権力は裏社会の度を超した増長は許さないということだろう、と立花隆氏も著作の中で開陳していた。
今これを思い返すと笑うしかないが、現在の自民党に話を戻すと、政策集団への衣替えどころか、麻生派(志公会)と茂木派(平成研究会)は26日段階で派閥解散を拒み続けている。ただ、茂木派からは小渕優子・選挙対策委員長ら著名な議員が何人か離脱した。
いずれにせよ最大派閥の安倍派(96人=解散直前の時点。以下同じ)をはじめ岸田派(46人)、二階派(38人)、森山派(8人)と解散ドミノが起きたことにより、自民党議員の7割は無派閥となったわけだ。
これを受けていわゆる永田町ウォッチャーの間からは、これこそ岸田首相が望んだ状態であるとの声が聞かれる。9月の総裁選をにらんで、安倍派の幹部クラスが「ポスト岸田」に名乗りを上げることを、あらかじめ牽制しようとしているに違いない、というわけだ。
1月26日には通常国会が招集されたが、派閥問題で野党に追及されても、
「もう解散しました。できることはやっています」
で押し切れるなら、予算もまず確実に成立する。その後には内閣を改造して、政権の求心力を高めてゆこうという戦略だと見る向きも多い。
ただ、前述のように、派閥の解散と言ってもポーズだけではないか、という批判は根強く、さらに言えば、まさか火に油を注ぐつもりではないであろうけれども、安倍派が解散した間隙を縫うようにして、福田達夫、高市早苗の両議員の周辺で、新派閥を旗揚げする動きあり、との情報まで漏れ伝えられるほどだ。
以上を要するに、岸田首相は人事と資金による派閥のしがらみから自民党を解き放とうなどとは、本気で考えているとは思えず、コップの中の嵐と言うには規模が大きかったものの、政治刷新どころか、単に自民党の内部をひっかきまわしただけだと言われても仕方あるまい。そのような文脈で見る限り、岸田の乱とは言い得て妙である。
しかしながら、どのような現象も一面的に見てはいけない。
22から24日にかけての世論調査を見ると、産経新聞では5%上昇しているものの、朝日新聞では横ばい、読売新聞では1%下がり、NHKでは3%上昇となっていた。
おおむね横ばい、という評価ができそうで、言い換えれば、派閥を解散に追い込んだとて、危険水域と言われる支持率30%以下の状態からは脱却できていない。
ただ、政党支持率に関して言えば、同じくNHKの最新の調査では、自民党が30.9%と、最大野党である立憲民主党(5.3%)に、実に6倍近い差をつけている。
もちろん、この数字だけで先は見通せない。支持政党なし、と回答した層が45%にも達しているし、自民党の内部からは相変わらず、
「岸田さんが総理・総裁では選挙に勝てない」
という声が漏れ伝わってくる。
そうであるとすると、今後どのような政界再編のシナリオが考え得るのか。また、私がタイトルにまで公明党次第だと書いたのは、どういうことか。
次回・最終回でもう少し掘り下げよう。
トップ写真:総理大臣官邸で開催された第1回認知症施策推進本部で会議のまとめを行う岸田総理(2024年1月26日)出典:首相官邸
あわせて読みたい
この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。