MR不足が招く医療現場の危機、高齢医師との連携で解決策を
上昌広(医療ガバナンス研究所理事長)
「上昌広と福島県浜通り便り」
【まとめ】
・医師と製薬・医療機器企業の癒着問題が深刻化し、医療の質が低下する恐れがある。
・製薬企業のMRが医師に提供する情報は、新薬の情報を手に入れる重要な手段だったが、近年は情報開示が進み、MRの役割が変化している。
・尾崎章彦医師が立ち上げた「製薬マネーデータベース」の活用で、双方の不適切な関係性の防止も期待できる。
尾崎章彦君という福島で診療する医師がいる。2010年に東京大学医学部を卒業後、千葉県での初期研修を終え、東日本大震災後の福島県に飛び込んだ。会津、南相馬での勤務を経て、現在、いわき市内のときわ会常磐病院に外科医として勤務している。
尾崎医師は、私が主宰する医療ガバナンス研究所の理事も務め、製薬企業と医師の利益相反について研究を進めてきた。英文での学術論文はもちろん、国内外のメディアでも何度も取り上げられている。
また、「製薬マネーデータベース」を立ち上げ、無料で公開し、この問題に関心がある人がチェックしやすい環境を整備した。医療関係者や患者さんはもちろん、マスコミ、行政、さらに警察関係者から問い合わせを受けることがある。情報を開示したら、様々な活用をする人がでてくるようだ。
最近、尾崎医師は、製薬企業だけでなく、医療機器企業と医師の利益相反についても研究を開始した。製薬企業と比べ、情報開示が遅れている領域で、不祥事が続いている。2023年9月には、国立がん研究センター東病院の元医長とゼオンメディカル、今年4月には、東京労災病院副部長とHOYAテクノサージカルの間での不透明なカネのやり取りが、贈収賄事件として立件された。
おそらく、このような不祥事は氷山の一角だろう。尾崎医師のデータベースを活用し関係者がチェックすることで、今後抑制力となっていくはずだ。
このような話を聞くと、医師と製薬・医療機器企業の「癒着」は深刻で、両者の接点は制限すべきと考える読者も多いだろう。確かに、一部の医師と製薬・医療機器企業の関係は不適切だ。医療界は勿論、製薬・医療機器企業には猛省が求められる。
実は、医師と製薬・医療機器企業の接触が疎遠になることには、少なからぬ弊害もある。近年、医療安全に深刻な影響を与えていると考えている医療関係者が少なくない。
それは、多くの医師が、医薬情報をMRに依存してきたからだ。MRとは、製薬企業に勤務し、医薬品に関する情報を医療従事者(医師、薬剤師、看護師など)に提供し、製薬会社と医療現場をつなぐ役割を果たす専門職だ。医療機器企業にも同様の職種が存在する。
新薬が発売されると、MRが病院を回り、薬を説明する。彼らの社内評価は、新薬の売り上げ次第だ。かつては、朝晩に医局の前に並び、自らが「標的」とする医師が戻ってくるのを待ち、薬の宣伝の時間を確保しようとした。
実は、多くの医師にとって、MRからの説明は新薬の情報を得るための貴重なルートだった。かつて、製薬企業が販促のために作成する資料には、ライバル薬との比較データまで掲載されており、極めて分かりやすかった。
製薬企業が重点的に営業したのが、若い医師だ。右も左も分からない若いうちに、自社の薬を覚え込ませたら、一生処方して貰えるという訳だろう。
この戦略は正しい。お恥ずかしながら、胃薬のムコスタをはじめ、私が普段、処方する薬の中には、研修医時代に担当のMRから教えてもらった当時の「新薬」が多い。30年以上、処方し続けていることになる。
幸い、ムコスタは特許が切れた現在も、レバミピドという名前のジェネリックが汎用されている。この薬を処方し続けても患者さんには迷惑はかけていないだろう。
残念ながら、すべての薬が、このようにいくわけではない。漫然と古い薬を処方していると、患者さんに思わぬ害悪を及ぼすことがある。
その代表が睡眠薬だ。睡眠薬の研究は日進月歩だ。柳沢正史・筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構機構長・教授は世界の睡眠研究をリードし、毎年、ノーベル医学生理学賞候補に挙げられる。
このような研究の進展は、新薬の開発に結びつく。その代表が、エスゾピクロン(商品名ルネスタ)とレンボレキサント(商品名デエビゴ)だ。いずれもエーザイが開発した睡眠薬である。
2022年7月、オックスフォード大学の研究チームは、4万4,089人が参加した30種類の睡眠薬を対象とした154件の臨床試験の結果を分析し、この二つの睡眠薬が優れているという研究成果を、英『ランセット』誌に発表した。日本企業が世界を代表する睡眠薬を開発したことになる。
かつて、睡眠薬の中核は、ベンゾジアゼピン系と称される薬剤だった。脳内のGABA受容体に結合し、その機能を亢進させ、中枢神経系を抑制する。つまり、意識を全般的に下げる。
この薬の問題は、高齢者で効果が遷延し、日中の鎮静、譫妄、運動失調、記憶障害などが生じることだ。転倒のリスクを増やすことが証明されている。
エスゾピクロン(商品名ルネスタ)は、非ベンゾジアゼピン系に分類される睡眠薬で、このような副作用が弱く、高齢者に使いやすい。
レンボレキサント(商品名デエビゴ)は、もっと使いやすい。脳の覚醒を促進するオレキシン受容体を阻害し、生理的な機序に従って、脳を睡眠状態に誘導する。脳活動を全般的に抑制するベンゾジアゼピン系と比べ、副作用は軽い。
高齢の患者に対しては、ベンゾジアゼピンは控え、新しい睡眠薬へ切り替えるべきだろう。ところが、実態は違う。知人の病院事務長は、「新薬に切り替えることなく、デパスを現在も処方し続けている医師は珍しくない」という。特に「定年後に非常勤で外来だけをしている年配の医師に多い」そうだ。
デパス(エチゾラム)はベンゾジアゼピン系睡眠薬で、1990年代に人気があった薬だ。ところが、依存性、離脱症状、高齢者での転倒や認知機能低下が問題視され、2016年に抗精神薬に指定された。その後、処方は激減している。
この事務長は、「先日、デパスを内服している高齢者が転倒し、大腿骨骨折で入院しました」という。この患者で、骨折とデパスの因果関係が証明されている訳ではないが、デパスを服用していなければ、転倒せず、骨折していなかった可能性は否定できない。このような「医療事故」とも言える事件は、国内で多数、起こっているだろう。
ベテラン医師が、若い頃に覚えた薬を漫然と処方し続けることは前述した。従来、医師に対して、薬の情報をアップデイトさせる役割を担っていたのがMRだ。もし、エーザイのMRが、従来通り、処方医を訪問していたら、この「悲劇」は回避できていたかもしれない。
勿論、医師の勉強が足りなかったことは否定しない。ただ、規範論を盾に、医師の責任を問うても、問題は解決しないだろう。臨床医学の範囲はあまりにも広く、さらに日進月歩だからだ。全ての新薬を「自習」するなど不可能だ。従来、不適切な側面もあったが、MRは医師が必要な新薬の情報を提供してきた。医師と製薬企業の利益相反が問題視され、このような関係が途絶えようとしている。
今後、この傾向は益々、強まるだろう。それは、製薬企業が生き残りのため、人員整理を進めているからだ。今年は住友ファーマ、田辺三菱製薬、協和キリン、武田薬品工業が早期退職を募集した。
人員削減の中心はMRだ。その数は、ピークの2013年(6万5,752人)から減り続け、23年には4万6,719人となった。代わって、製薬企業が力を入れたのが、ウェブによる情報提供だ。コロナ禍以降加速し、2023年度には、40社がオンラインMR制度を導入し、その数は507人(前年比23%増)だ。
この流れに乗ったのがエムスリーだ。2000年9月に創業し、製薬企業を顧客に、医師に対してオンライン上で情報を提供するサービスを代行している。24年度の売上は2,388億8,300億円で、11月15日現在の時価総額は8,488億円だ。
エムスリーの登場がMRの在り方を変えたが、このやり方には問題がある。高齢医師が置き去りになることだ。彼らは、ウェブからではなく、MRから情報を提供される体制で育ってきた。そのやり方は急には変えられない。MRを介した情報提供がなくなれば、前出のような医療事故は避けられないだろう。医師と製薬企業の利益相反を開示すると共に、MRの役割を、医療安全の視点から見直すべき時期がきている。
トップ写真:男性医師と医療情報担当者MRの会話の様子(イメージ)※本文と関係ありません 出典:RRice1981 by getty images
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この記事を書いた人
上昌広医療ガバナンス研究所 理事長
1968年生まれ。兵庫県出身。灘中学校・高等学校を経て、1993年(平成5年)東京大学医学部医学科卒業。東京大学医学部附属病院で内科研修の後、1995年(平成7年)から東京都立駒込病院血液内科医員。1999年(平成11年)、東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。専門は血液・腫瘍内科学、真菌感染症学、メディカルネットワーク論、医療ガバナンス論。東京大学医科学研究所特任教授、帝京大学医療情報システム研究センター客員教授。2016年3月東京大学医科学研究所退任、医療ガバナンス研究所設立、理事長就任。