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.国際  投稿日:2023/2/22

中国の脅威への対処法 その8 歴史に目を曇らせるな


古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)

【まとめ】

・中国には友好的な態度を取らねばならないとの示唆がある。

・しかし歴史上の類似点と、現在の中国の敵対政策等とは無関係である。

・戦争時の贖罪意識を理由に中国に譲歩するという考え方は正当性がない。

 

日本側でいまの中国を語る際に、歴史や文化という要素を持ち出してくる向きも多くある。しかしこの種の要素によって、いま目の前に存在する中国の脅威を直視する作業をゆがめるようなことがあってはならない。

私自身が中国報道を始めるようになった時期、つまり香港返還の1997年、そして産経新聞初代中国総局長としての北京への赴任の1998年、というころの状況を思い出してみよう。

そのころ日本と中国との関係でよく使われていた表現は「一衣帯水」とか「同文同種」という言葉で、主に日本側で使われる言葉だった。「一衣帯水」とは日本と中国とは一つの水、海でつながっているという意味である。「同文同種」というのは日本人と中国人は同じ言葉を使い、同じ人種なのだ、という意味に解釈してよいだろう。

いずれも日本と中国とは古くから特別の緊密な絆があるのだ、ということを強調する表現だといえる。そしてそういう意味の決まり文句の背後には、日本と中国は古くからの交流や言語上での共通点が厳存するのだから、中国には友好的な態度をとらねばならない、という示唆があった。

たしかに日本と中国との交流の歴史は長い。交流の内容も豊富である。そもそも同じ漢字を使うのだから、共通点が多いといわざるを得ない。日本語にも明らかに中国語から渡来した表現、とくに漢字4文字での熟語ふうの表現が無数にある。

たとえば「起承転結」とか「多種多様」というような言葉がそうだといえよう。

しかしこういう共通点をみて、現在の日本と中国との関係の本質をゆがめてみてしまうことがあってはならない。「一衣一帯」というような表現にはみな「だから中国とは仲良く、親しくしなければいけない」という示唆がひそんでいるのだ。しかしこの種の示唆は日中関係の現状をまったくみていないといえる。

いくら同じ漢字を使うからといって、日本と中国は同一、均一の国家同士ではない。日本語も中国語とは厳然として異なる言語なのである。しかもその種の類似点はいまの中国が日本に対してどんな敵対政策を保持しているか、をみていない、つまり無関係なのである。

日本側では中国との摩擦の案件などを考える場合に、「日本はとにかく悪いことをしたのだから」という言辞を弄する向きも多い時代が続いてきた。私が北京に赴任した時期でもそうだった。

日本と中国の利害がぶつかる場合に、「日本はとにかく軍隊で中国に侵略して悪いことをたくさんしたのだから」と指摘する人たちがいた。日本の古い世代の政治家とか古い財界人の一部だった。外務省の中国担当のいわゆるチャイナ・スクールの人たちにも、そんな声があった。

そういう向きが指摘するのは日本軍の中国での軍事活動である。より具体的にはこの日本の軍事行動全体を罪深き侵略と決めつけて、中国側に損害を与えたのだからそのことを忘れず、現在の対中関係でもその負い目を日本側の態度に反映させねばならない、と主張するわけだ。日本側の贖罪意識だともいえよう。

中国側はこの種の日本側の過去の「罪」は国家としての永久保存のように、形を変えて常に提起している。

いわゆる「盧溝橋事件に始まる中国全面侵略」「南京大虐殺」「満州国建国による中国東北部侵略」「三光作戦」「731細菌部隊」などである。

どの事例も日本側の非人道的な残虐行為として中国側は永久に記録し、伝承していくという政策である。実際に中国側の学校教育では小学校の低学年から「日本軍の残虐行為」を教えている。

中国側のこの面での態度については北京郊外の盧溝橋地区に開設された「中国人民抗日戦争記念彫刻塑像公園」をみれば、よくわかる。

「とにかく中国国民の苦痛を理解すべきだ」などと述べ、中国の要求にただうなずいていれば、中国側の憎しみや恨みもやがては消えていくと論じるような日本側の識者にも、対日の怨念を青銅に刻んで永遠に残そうとする中国共産党の政策を体現したこの公園をぜひとも見学してほしい。

抗日戦争記念彫塑公園の広大な構内には青銅色のブロンズ塑像が合計38配置されている。共通のモチーフはまず日本の「侵略」と「残虐」、そして中国の「闘争」と「勝利」である。

個々のブロンズ像は直径2メートル、一つ一つが「南京での大虐殺」「731部隊の魔窟」という個別の事件、案件を表現し、歴史の説明が簡単に記されている。像には中国人男女の姿が無数に彫刻されている。大部分が日本軍に殺され、撃たれ、焼かれ、という苦痛の姿態である。

ブロンズ像に彫刻された日本人はあくまで残忍に醜悪に描かれ、銃剣で子供や女性を刺しまくるような像ばかりなのだ。そのうえに説明の文章では日本側はすべて通常なら日本人一般への侮蔑の呼称となる「日寇」で通されている。

一方、中国軍将兵は崇高で雄々しく、一般の中国人はあくまで無邪気で気の毒そうに、すべて描写され、悪と善とのコントラストが鮮やかとなっている。

日本は戦争の因果では国家を滅ぼし、戦場の犯罪では厳罰を受けて多数の同胞を処刑され、賠償も謝罪も国としての責任を果たしてきた。

中国との講和も復交もすませ、平和と友好の手をも十分以上に差し伸べてきたはずである。だが中国当局は戦争の敵意や憎悪をそのまま現在形として保ち、国民にも日本への憎しみ恨みの炎を無期限に燃やし続けることを、これでもか、これでもか、と号令する。

そうした怨念の表示のシンボル、その集大成こそが抗日戦争記念彫塑公園なのだ。

だから戦争の歴史にさかのぼり、そのことを理由に中国側に譲歩せよ、という理屈には正当性がない。戦争でのやりとりはもう済んでいるのだ。

(つづく その1その2その3その4その5その6その7

トップ写真:南京で行われた南京大虐殺の国家記念式典(2016/12/13) 出典:Photo by Getty Images




この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授

産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。

古森義久

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